平和を願った反戦川柳作家 鶴彬

町中は秋祭りの山車が練り歩いている。空は秋空・・・
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9月14日は反戦川柳作家鶴彬(つるあきら)の72回目の命日。

鶴彬(本名 喜多一二)が眠る光照寺にある喜多家の墓前には20人のファンが集い、線香を手向け手をあわせた。
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鶴彬は19歳で反戦運動に加わり、投獄されてもなお反戦川柳を発表し続け2回目の投獄で赤痢で29歳で獄中死し、盛岡にいたお兄さんが引き取って喜多家の墓に葬ったという。

鶴彬の墓が盛岡にあるということを知った方々が全国各地から墓を訪れるようになり、有志の方が立派な標識を建ててくれたという。

鶴彬のお兄さんの次男の夫人の喜多ふみさんも参加し「平和な時代になって皆さんがこうやってお参りしてくだりありがたい」と離していた。

鶴彬の遺骨をお墓に葬る時は特高警察が監視されていたそうだ。

数年前に川柳の処女作を思い出した。「鶴彬 平和の叫び 受けとめて」・・・受けとめて歩み続けよう。

川柳の作品はこれっきりだけど・・・・
by yoko1939 | 2010-09-14 23:42 | 木木レポート | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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