陸前高田市へ支援物資を届ける。瓦礫の町に言葉なし・・・

日本共産党藤倉陸前高田市市議に電話してみた。「陸前高田は何も無くなった。何も無いのが高田だ。来て見て自分のところでどんな町づくりをしたらいいのか考えてほしい」と言われホッとして高田行きを決めた。私に何が出来るのだろう?と考えてばかりから脱出したい・・との思いだった。

鈴木努市議を先頭に、日本共産党仙北後援会のみなさんと支援物資を車2台に詰め込んで出発。急なお願いにも関わらず青果市場の中卸さんから、キャベツ3箱、長いも2箱、大根やたまねぎなど乗用車いっぱいのご協力いただいた。理容店からはハンドリーム70個やシャワーブラシ等々、医療生協からはミルクや紙パンツなどぎっしりだった。

どうしても会いたい人が・・・2月に戸羽市長にバトンタッチした中里長門前陸前高田市長。2期8年間共産党員市長として市民本位の市政を貫いてがんばってきた。体調崩して8年間副市長として中里さんを支えてきた戸羽さんにバトンタッチできた。お会いして「8年間ありがとう」と言いたかった。こんな時に・・と思ったが
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花束を持っていった。お元気に私達を迎えてくれた。幸いにも無事だった山手のお宅に上がりこんでおしゃべりしてきた。

「宮城沖地震の県のシュミレーションでは体育館まで津波は来ない予想で避難所に指定していたのが今回そこに避難した人達が津波に飲み込まれてしまった。市長としては・・・」と声をつまらせた。「関係者からの何十年もの要望だった野球場を建設し、
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3月15日に完成の予定だったのに流されてしまった。悔しい」「県立高田高校に年30万円の補助を出しているが、地元の高校を自治体として支えたいと思ってやった。なんとしても高田に高校を残したい」などなど市民のみなさんの要望を実現させてきた市政の話に感動した。

2月の市長選は、民主党の相手候補には小沢一郎衆院議員、達曽知事、民主党の県会議員が連日押し寄せた市を二分する激戦だった。戸羽陣営は市民のみなさんと一緒に戦い勝ち抜いた市民の勝利だった。「小沢さんは選挙には乗り込んできたのに大震災後1回も来ていない」と憤慨していた.まったくだ!震災現場に気もしないで永田町で何してるんダー!!
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市役所は屋上まで津波が押し寄せ、職員も臨時を入れて100人の死亡、行方不明者が出た。震災後避難所は行政の手が行き届かなかず一部に「市役所何してる」の声もあがったが、圧倒的な声は「市役所も大変だ自分達で何とかしよう」と自主的に運営している。「8年間の市民と一緒の市政を作り上げて来たことが力になっている」と話していた。

市議選にむけてとても良い話をきかせてもらった。中里さんの家は津波は免れたが、まだ電話が通じない、水道はとまったまま、毎日の買い物はお店が全然無いので隣町まで出かけるという。家が残った人たちも被災者なのだー。

鳥羽市長を当選させた市民の会と日本共産党陸前高田市委員会が共同で青空市を休日なしで開いている。支援物資を自由に自分で選んで気兼ねなくもっていける仕組みにしている。プレハブが3棟、簡易トイレも設置している。被災者の方々もひっきりなしに訪れ品物を選んでいる。もって行ったハンドクリームは早速並べられて「1人1個」でほとんどの人が手にしていた。車からおろし始めた野菜にも人だかりになった。見ていてうれしかった。
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支援物資を持っていったものがすぐに被災者の手に渡るのが目に見えることで「物資を持ってきて良かった」と実感できた。しかも「来る人は拒まず」で自宅や仮説住宅の人も訪れると言う・・・この仕組みが出来たのも市民本位の政治の成果なんだなー

大阪や京都からもボランティアが来てがんばっていた。頭が下がる。「また来るからね」約束して青空市を後にしてきた。

新婦人しその実班の方は、毎年広田の漁師さんか。「らわかめを仕入れ母親大会の財政活動をしており、その方が被災して親戚の家に避難しておられ支援物資をもってお見舞いに行かれた。
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鈴木努議員と私は広田保育園へお邪魔した。こんなところまで・・と思うような高台だったが、床上50センチまで津波が来たという。「危ない!」と裏山に子ども達を避難させて無事だったという。本当に良かったねーと説明してくださった保育士さんと喜んだ。

行き帰り高田の中心地を通過したが、藤倉議員の「何にもないのが陸前高田だ」と言われたことが思い浮かんだ。建物で残っているのが鉄筋の建物だけ・・・しかも市役所の4階まで窓は無くなっている。
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市役所前で下車し、もって行ったお花を捧げ手をあわせてきた。枯れたお花がいくつか捧げられて、お線香も手向けられていた。及川市議や女性運動でご一緒だったOさんの顔が浮かんだ・・・

一面に瓦礫にうまった町を見て言葉が出ない!これからどうするのか?どうしたらよいのか?自問自答。「いらない物はない。何でもいいです」と青空市でがんばっている吉田まちこさんの言ったことを思い出した。とにかくできることを続けよう!!!と誓った。

支援物資をいただいた方にも報告し喜んでもらった。
by yoko1939 | 2011-06-04 22:02 | 木木レポート | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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