沢山の熱いおもいと支援物資をもって陸前高田へ・・・ご協力ありがとう

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みなさんからご協力いただいた陸前高田支援物資は鈴木努事務所いっぱい集まった。
みなさんの熱い思いと、支援物資をぎっしりと軽トラと自家用車2台に詰め込んで7時30分鈴木努事務所を出発し、陸前高田市に向かった。今回は、日本共産党杜陵後援会の方々と一緒だ。

後援会のHさんが、「高田高校の野球部が何もかも流されたというテレビを見て支援金を送ることにした」という。だったら支援物資を持って高田へ行こう!高田高校によって直接手渡してこよう!ということになったのだ。

陸前高田共同支援センターから聞いたら、夏の帽子、うちわ、夏のも衣類、下着、食器などが欲しいと聞き呼びかけたら、杜陵後援会の方々が集めた物資、先日の南仙北2・3丁目公民館で行われたチャリティバザーの残った物資を譲ってもらったり、私の同級生や、友人、近所の方々から寄せられた物資が短期間でどっさり集まった。みんな何かしなければ・・・との気持ちが伝わってくるものでうれしかった。
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前回と同じコースで中里前市長にお会いしておしゃべりした。共同支援センターに支援物資をおろした。
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青空市を開いてから休日なしだったが、ボランティアの方々も疲れてきたので先週から水曜日休みにしたと青空市はお休みだったが、
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日本共産党の藤倉市議が待機してくれていた。保育園に支援米を届けて周っていた青空市の物資の責任者の若い藤倉さん、スタッフの伊勢純さんが帰ってきた。おろした物資は3人の後ろの山だ。伊勢純さんは故及川一郎市議の跡継ぎとして予定候補となったが連日共同支援センターのスタッフとしてがんばっている。

手芸の好きなHさんは、せっせとエコバック20個も手作りしたものを持っていった。

前回来たときは、食器コーナーはほんの一角で青空市だったが、大きなテントに広がっていた。仮設住宅に入る人が増えているが、「最低の食器しかなく毎日の生活に急須や茶筒、コーヒーカップが欲しい」「ご飯茶碗もらったばかりなのにかけてしまって・・・と申し訳なさそうに、ご飯茶碗をもらっていく人もある」という同行したOさんが言うには、仮設住宅の電化製品や生活用品はイオンに丸投げされているとい。「エー震災で儲けるのはやっぱり大企業?」

藤倉市議は「支援物資はムダにしません。毎日多くの被災者がこられます」という
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。休みだと知らずに近くの仮設住宅に入っているという高齢者の方が2人いらして「気仙町で津波に全部持っていかれた。着の身着のままで逃げたから何にも無い。ここには毎日来ているが助かっているよ」と話てくれた。

友人のFさんはお友達にも声をかけて沢山の支援物資を集めてくれ、さらに義捐金も現地に直接渡してくれと託された。藤倉議員に聞くと共同支援センターでは被災者が欲しいと言うものを購入することもあると言う。だったら有効に使ってもらえそうと渡してきた。
「又来るから」と青空市を後にした。

高田高校は大船渡市の北はずれ立根町の旧大船渡農業高校の校舎を仮校舎としており、スクールバスで通学で、気仙沼からきている生徒もいるという。
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残念ながら野球部の佐々木監督は不在だったが主将の大久保君にHさんが大金の支援金を直接手渡してきた。
野球部は、校庭は自衛隊が駐屯しており使えないため毎日他所の校庭を借りて転々としながら練習しているという。「今日は住田高校の校庭を借りて練習です」と大久保君が話してくれた。Hさんは直接渡せて満足!お相伴に預かった私達も胸がときめく支援に満足!!それにしても・・・1人暮らしの後期高齢者にとっては大金なのだが・・・
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市役所前は少しは前回よりも片付いたかのように見えるが・・瓦礫の山はまだ崩れていない。市役所に向かって献花し、市民10人に1人という多くの犠牲者に手をあわてた。

被災地に向かうたびに支援を続けなければ・・・の思いが強くなる。日本共産党鈴木努事務所では、今後も、1ヶ月に1回の割合で陸前高田への支援を続けて行く予定だ。
by yoko1939 | 2011-06-29 10:14 | 木木レポート | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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