激動の時代幕末に南部盛岡藩に5年間存在した洋学校「日新堂」ーそういう学校があったというくらいしか知識がなかったが、おおいに勉強になった。
1861年4月洋学校「日新堂」の創立をめざして22人が組織をつくって「盟約」をつくって150年を記念し企画展を開いたものだという。
盟約は13箇条に及び、貴賎の別なく、学派にこだわらない洋学校として画期的なものだった。大島高任を筆頭にした理工学系と、八角高遠を筆頭とする医学系の人物で構成されていた。
戊辰戦争の敗北と共にたった5年で廃校となったが、日本や盛岡の発展に貢献した人材輩出したという。
いつも思うのだが、博物館というのは説明してくれる人がいたら何倍も楽しくなると思うにが・・・
説明パネルを読むだけで終わってしまう。貴重な資料が展示されていてもよく理解できない・・・残念だ。でもー少しおりこうさんになった気分