吉田松陰の追っかけ②なぜ脱藩して東北の旅に出たのか?

2月10日に学んだ吉田松陰と盛岡がきっかけですっかりとりこになり、吉田松陰の追っかけをしている。

仙北活動センターの図書室で取り寄せてもらい織田久著「嘉永五年東北」-吉田松陰『東北遊日記』抄ーを借りて読んだ。とにかく面白かった!!
e0122199_21293861.jpg

なぜ脱藩までして旅に出たのかわかった
吉田松陰が東北の旅に出たのは嘉永5年(1851年)12月15日だった。同行者は親友の熊本藩士宮部鼎蔵と、浪人で亡兄の仇討に盛岡の戻るという南部盛岡藩士安芸五臓(本名江端五郎)だった。

 出発の日を安芸五蔵のことを思いやって赤穂四十七士の討ち入りの日を決めていた。ところが長州藩から旅行の許可は早々に下りていたものが、通行手形が手間取り出発の日に間に合わなかった。他藩の者に長州人は約束を守らない輩と思われるより亡命し一身に罪を負う道を選んだという。

 参勤交代を待って仇討をやるという安芸と白河で別れて、松陰と宮部は会津に向かったと。仇討を助勢するために旅に出たと思っていたのは間違いで、度重なる外国船の侵入に立ち向かえる国になっているのかを確かめる遊学だったらしい。
by yoko1939 | 2013-03-30 21:12 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


by yoko1939
プロフィールを見る
画像一覧