歴史てくてく② 盛岡城を造った人々を思う歴史散歩

盛岡城跡公園は、四月が訪れる人が一番多い。
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 盛岡城は、南部信直、利直、重直の三代の城主にわたる難事業で四十年を費やし一六三三年(寛永十年)に完成している。
 築城工事に動員された人夫は日々2、000人以上だったというから想像を超える。
 雪博士の高橋喜平さんは著書「岩手公園の四季」で「わたくしの頭を去来するものは、数多くの人々への思いである」とひどい苦役を強いられた人々へ思いを馳せ、「石垣にはそんな人たちの怨念がひそんでいただろう。長い年月がそれを流し夢とロマンをかきたてる」と見事な石垣を造った石工の技術をほめたたえている。
 良質な花崗岩を使った美しい石垣は高い評価を受け、盛岡城は、白河城、弘前城と並び東北の三大城跡といわれている。
 桜山神社の右側と菜園側のトイレの後ろの石垣に、築城の奉行の名前が刻まれているのも興味深い。下の橋教会の後ろには南部盛岡藩の彦お蔵がある。
 明治維新で政府に建物は壊されたが、国から南部家が四〇〇〇円で払い下げられたものを、県が譲り受け、明治39年に岩手公園が完成し、盛岡市に昭和9年移管となった。 
 いろんな変遷をたどってきた盛岡城跡公園の歴史散歩も面白いですよ ( 浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-04-06 20:52 | 歴史てくてく | Comments(0)