歴史てくてく④盛岡に眠る反戦川柳家 鶴彬の証

「手と足を もいだ丸太に してかへし」と詠んだ反戦川柳家の鶴彬が名須川町光照寺墓地に眠っている。
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 鶴彬(本名喜多一二)は石川県高松町で生まれ、上京し一九歳で反戦運動に加わり、「胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき 」など数々の反戦川柳を発表し続けた。
 治安維持法のもとで検挙されたが意志を貫き、二度目の検挙で獄中で赤痢にかかり病死した。二九歳の命だった。
 盛岡で染物屋を営んでいた兄が遺骨を引き取り光照寺の喜多家の墓に埋葬した。特高警察が見張る中での埋葬だったという。
 鶴彬は一八歳の時、東京にでたものの職探しには苦労し、川柳仲間の友人に「失職すると啄木が兄のように思われます」と啄木の短歌を引き手紙を送っており、盛岡との縁が一層強まった感じがする。
 今年は、治安維持法による大弾圧から八十五年となる。
 自民党は、参院選で憲法改悪を争点にすると憲法草案には「国防軍」を唱えている。
「戦争反対」を言っただけで捕えられ拷問され、殺された時代に逆戻りさせてはならない! 信念を貫き生きた鶴彬から歴史を学び後世に繋がなければとの思いが強まる。        (浦川陽子)
 
by yoko1939 | 2014-04-06 21:06 | 歴史てくてく | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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