歴史てくてく⑥「小○」の旗掲げて1万5千人の百姓一揆

本町1丁目の雑貨屋平野商店は、かって沿岸の人達の定宿「河権旅館」だった。
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 歴史に残る旅館と言われる所以は、三閉伊一揆の頭人畠山多助が、明治6年、地租改正反対一揆の嫌疑をかけられ捕えられ、河権旅館に宿預けとなり、厩で抗議の自決をしたのだ。
 平野家は「佐倉宋五郎のような立派な人」と、本誓寺の平野家墓地の一角に墓を建て葬った。
 弘化4年と嘉永6年の二度にわたり、三陸沿岸を中心にたたかわれた壮大な百姓一揆は「黒船以上に大きな事件だった」と大佛次郎も評しているが、嘉永の一揆の惣頭人が田野畑村の36歳の多助だった。「小○の旗」を掲げた一揆の一行は1万5千人に膨れ、45人の代表を選び仙台藩に「藩主の交替と御用金・重税は迷惑」と訴えた。
 一行は要求をほぼ実現し、処罰しないと約束させて、お墨付きまで勝ちっとった。お墨付の発見は一揆から百年後だった。
 いま、自民党は公約を破ってTPP参加にまっしぐら・・・ 岩手県の調査で、農・林・水産物への影響は1015億円、地域経済への影響も含めると1435億円に及ぶ。岩手の産業が破壊されてしまう。
 参院選では「小○」の旗を高く掲げ国民一揆を起こす時!         (浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-04-06 21:29 | 歴史てくてく | Comments(0)