このお祭りは、仙北一丁目第一町内会と駒形自治会の両町内が駒形神社奉賛会をつくり実施しているが、舞台づくりにはじまり、協賛金のお願いやお祭りの運営や屋台までやっている。この地域力はすごい!
例大祭後の直で菊池満協賛会長が作成した駒形神社由緒と昭和初期の駒形神社の写真が配られた。
それによれば、慶長四年(一五九九)南部二七代南部利直が盛岡城を築いた時に駒形神社も現在の地に移し、荘厳な社殿を築いたとある。昭和初期の写真には東北本線の単線も写っている。菊池さんのお話によれば境内は今の四倍もあり、立派な神楽殿や厩があったという。南部初代の南部光行が甲斐の国から従えて来た加藤京吉の子孫を御駒太夫として太神楽を各地で演じさせた。太夫の部下が神社に隣接した七軒に住んでいたことから「七軒丁神楽」の名がついた。
七軒丁神楽を受け継いだ神楽は青森県や岩手県内各地で現在も演じられているが本家のこの地では舞い手が戦死して途絶えてしまったという。いつか七軒丁神楽を訪ねて歩きたいと思っているのだが・・・(浦川陽子