現在も営業しているそば処北田屋が当時発行した駅舎の絵葉書が展示されていたが、今も部分改築はしたものの当時の面影を残している。木造駅舎は全国的にも少なくなっており、貴重なものだ。
盛岡駅が当初加賀野や肴町に計画され反対により、仙北町(当時本宮村)付近に計画されたが、農作物に影響が出る、舟運や馬車の仕事がなくなるなどの反対があり現在地(当時厨川村)に1890(明治23)年開業した。
22年後の1912(明治45)年仙北町等の有志が仙北町駅設置期成同盟をつくり、原敬内務大臣兼任鉄道院総裁に仙北町駅設置の請願書を出した。
原敬はこの請願に返事をしなかった。かって盛岡駅建設に反対があったことや盛岡駅から1.8キロしかないことを考えてのことだった。
しかし地元の強い要望と原敬の努力で仙北町停車場設置が決まり、1914(大正3)年10月仙北小学校の運動会に招かれ工事中の駅舎を視察している。
開業当時貨物駅としての役割をもち駅前には丸通をはじめ運送店が並んでいたという。
地方から馬を運び、馬検場で馬を売りお金を懐に入れた馬主たちが家に帰る前に一杯ひっかけたのが仙北町駅付近のお茶屋だったという。仙北町駅でこの100年どんな物語が生まれただろう。 (浦川陽子)