歴史てくてく⑭「中津川三橋」と擬宝珠

今年も中津川に鮭が帰ってきた。中の橋や上の橋から覗き込む市民の姿が秋到来を感じさせてくれる。
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 中心街の清流に架かる「中津川三橋」は、盛岡城の築城に伴い城下町割と架橋が進められ、上の橋が慶長十四(1609)年奥州道中から松前街道に係る一般庶民も通行できる重要な橋として創設。中の橋は、慶長十六(1611)年武士が通行する橋として架橋。下の橋は慶長十七(1612)年対岸の侍町を結ぶ搦め手口(城の裏門)の橋として架けられた。
 この時三戸城の熊原川の黄金橋の青銅擬宝珠を鋳直して上の橋と中の橋に移したと伝えられている。
 現在の下ノ橋の擬宝珠は、明治四十三(1910)年、中の橋が洋式架橋されたことにより移されたものだ。
 洪水で流されたり、架け替えで不明になったりで、橋梁についている擬宝珠は全国的にも数が少ない貴重なものだという。  度重なる大洪水の難を逃れ、戦時中の金属特別回収(戦時協力ということで昭和十八年に取り外された)も逃れて、上ノ橋の青銅擬宝珠十八個は国指定重要美術品、下ノ橋の青銅擬宝珠十八個は盛岡市指定有形文化財となっている。数々の難を乗り越えられたのは、擬宝珠を愛する先人たちの働きがあったのだろう。歴史的な財産として大事にしたいものだ。
                              (上の橋のスケッチと文  浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-11-10 21:20 | 歴史てくてく | Comments(0)