⑳大島高任と日新堂

釜石市の「橋野鉄鋼山」が「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に登録され、現存する最古の洋式高炉跡とともに脚光を浴びているのが高炉を築いた大島高任だ。
 幕末の日本は外国からの海防のための大砲や軍艦を造る良質の鉄が求められていた。
 高任は、盛岡藩の侍医の長男で、江戸、長崎で蘭学、兵法、砲術、採鉱、製錬を学んだ。水戸藩主徳川斉昭にこわれ那珂湊に反射炉を築いたが鉄の強度に問題が生じた。鉄鉱石から良質な鉄を取り出せる洋式機高炉を、甲子村大橋(現釜石市)に建設し連続出銑に成功し「日本近代製鉄の父」と称されるようになった。
 大島高任の功績の場が盛岡にも残っている。高崩にあった幕末の洋学の私塾「日新堂」だ。といっても跡地は国道4号の下になってしまい、昭和六〇年(1985)に岩手県医師会が建てた記念碑が岩手自動車学校の入り口にひっそりと佇んでいるだけだ。
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日新堂は、急速に近代化する時代の流れにこたえられる人材を育てる目的の洋学を学ぶ私塾で、化学、物理学、鉱物学、植物学、医学、英語等のカリキュラムが組まれ、種痘の実施や砲術訓練まで行われた画期的な学校だった。
 その中心になったのが高任と西洋医学の先駆者八角高遠だった。 多彩な人材を輩出したが、戊辰戦争の敗北とともに明治政府に兵器製造所にみなされ、僅か五年で廃校となった。
 幕末から明治の激動の時代、洋学を学んだ若者たちのエネルギーを実感した。  (浦川陽子) 
by yoko1939 | 2016-01-05 16:58 | 歴史てくてく | Comments(0)