歴史てくてく㉔オール沖縄をオール日本に

「平和憲法のある日本へ早く復帰したいというのが沖縄の人たちの願いでした。ところが復帰しても沖縄は全然変わらなかったのです。今も変わりません。今回の女性遺棄事件は沖縄の人たちは助けてあげれなかった・・・と苦しみ、そして怒りでいっぱいです」と平和ガイドの第一声だった。

 50年間沖縄の祖国復帰と基地撤去を闘う人々を撮り続けてきた写真家「嬉野京子さんと行く沖縄本島・伊江島ツアー」に参加し、米軍基地と3か所の闘うテント村を走り回った。

 東村高江では、オスプレイが着陸するヘリパッド建設計画を2カ所は作られたが4カ所はストップさせているという。この基地には柵がなく訓練中の米兵が突如民家の庭先に顔を出すこともあるという。ベトナム戦争の時、地区住民をベトナム人にみたて訓練したという。

 ⒒人の児童と一般6人死亡、220余名の重軽傷者をだした米軍のジェット機が墜落した宮森小学校の慰霊碑の前で体験者の方のお話を聞いた「50歳まで話せなかった。二度と繰り返えしてはならないと話すようになった。今回の女性遺棄事件の犯人はは米人だが、第二の犯人は日米政府だ」と強調。
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 座り込み4422日目の辺野古団結小屋では「基地計画は、軍艦を寄港できる新しい基地を作って永久に固定化することが目的で、普天間からの移転ではない。オール沖縄で新基地は絶対作らせない闘いをやっている」と説明受けた。
「沖縄ではいまだに戦争が続いている!」ことを実感。そして沖縄を戦後にするためには、オール日本を実現し政治をを変えなければ痛感してきた。(浦川陽子)
by yoko1939 | 2016-06-01 22:52 | 歴史てくてく | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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