9月上旬の数日間だけ岩洞湖の水位が下がり、湖底に沈んでいた野田街道が出現するのだ。
湖底を歩いていくとあちこち周囲と色が違う場所がある。丸いものは何と縄文時代や平安時代の竪穴住居の跡だという。
長方形の形がいくつも並んでいるものは、穴を掘り落とし穴を作って動物を捕らえる仕掛けだという。
盛岡市遺跡の学び館の神原さんの話によれば、岩洞湖周辺の薮川の遺跡は⒖カ所も確認されているが、発掘調査されたのは小石川遺跡のみだという。ここで発見されている土器石器は、縄文時代早期の8500年前から晩期2300年前、弥生時代の2300年前~1800年前、平安時代1200年前のもので、13000年前の旧石器時代終末期の石器も発見されているという。
1万年前にこんな寒いところに人が住んでいた?どこから来たのか?どんな生活してたのか?興奮した。
野田街道に到着。湖面から山に向かってくっきりと2.5mの道が見えた。湿地だったのではないか?道の中に小枝や茅のが縛ったものが敷かれている。
その道のそばに江戸時代から昭和にかけて宿だったと思われる大きな家の礎石が見られ、蹄鉄やビール瓶、食器のかけらなどが散乱していた。
南部領内で最も製塩が盛んだった野田の塩を運んでくる道として「塩の道」とも呼ばれていた。
野田街道を歩く予定が、縄文時代、平安時代に入り込み、知らない世界をさまよった気分の一日だった。岩洞湖底に眠るミステリーだった。
(浦川陽子)