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盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


by yoko1939
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谷中の全生庵へ・・盛岡のもう一つの鐘に会いに行ってきました


盛岡のもう一つの時鍾に会いに東京駅からまっしぐらに谷中の全生庵へ・・・
あった!会えた!懐かしい友人に会えた気分!
谷中の全生庵へ・・盛岡のもう一つの鐘に会いに行ってきました_e0122199_115724100.jpg

さっそくご住職さんからお話を聞いたが「盛岡から何人かの方が訪ねていらしたが、何も分からない」「でも、鐘に明治に銘文を刻んでるんです」と。
谷中の全生庵へ・・盛岡のもう一つの鐘に会いに行ってきました_e0122199_11581542.jpg

お許しを得て鐘楼に登って見たが字が書いてある程度しかわからない。ご住職さんが出ていらして「これです」と教えてくれたが、目視では無理!カメラで写してパソコンで見られるかな?と一生懸命撮っていたら住職さんが「銘文がありますからメールで送ってあげます」という。うれしい!

おまけに御朱印まで書いていただいた。お出かけになる予定があった中、ご親切な対応に感謝だった。
谷中の全生庵へ・・盛岡のもう一つの鐘に会いに行ってきました_e0122199_121865.jpg

全生庵は臨済宗国泰寺派。山岡鉄舟が幕末明治維新で国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治16年に建立したという。山岡鉄舟との因縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があることで有名。現住職は七世平井正修氏。
鉄舟は居士号で明治21年7月19日胃がんで死亡。全生庵での葬儀には5千人も参列したという。

帰ってパソコンを開いたら銘文が入っていた。

う~んーわからない!!
山岡鉄太郎はじめ4人の名前が彫られ、
   落成明治廿三年十一月 當庵二世浩嶽代 
   明治廿三年十一月五日 撞初供養式並刻銘 當庵三世揺洲代
とある。

明治16年山岡鉄舟が全生庵を建立
明治18年集会所新築の資金集めのために売却
明治21年山岡鉄舟が死亡
明治23年山岡鉄舟の名前も含めて刻まれた鐘の落成、初供養されている

明治17年に河南地区1400戸を焼けつくす大火があって、集会所が必要だったことは予測がつくが・・・どんなご縁で全生庵に行きついたのか?鐘に刻まれた4人の方はきっと寄贈者に違いないと思うのだが・・・

きっとどこかで真相を知る人はいるのだろうが・・・私が謎を解くにはまだ時間がかかりそう・・・
なんとなく楽しくなってきた。
by yoko1939 | 2017-02-15 10:35 | 温泉・旅 | Comments(0)