歴史てくてく㉘盛岡のもう一つの時鍾

盛岡城下のもう一つの時鍾は、明治18年集会所新築の資金集づくり売却されたという。それがどうして東京谷中の全生庵にたどり着いたのか?
2月に娘からプレゼントの旅を利用し全生庵へ行き時鍾に会ってきた。
全生庵は臨済宗国泰寺派。山岡鉄舟が幕末明治維新で国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治16年に建立している。
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ご住職さんからお話を聞いたが「何も分からない。でも、鐘に明治に銘文を刻んでいる」というので、お許しを得て鐘楼に登って見た。目視では無理!住職さんが「銘文がありますから送ってあげます」という。
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住職さんからのメールでは、銘文には寄贈者と思われる山岡鉄舟はじめ4人の名前が刻まれ、明治23年11月5日撞初供養式が行われたことが分かった程度だった。
探し回ってやっと詳しい資料にたどり着いた!「県文化財調査報告書」によれば、南部藩の時鍾は3つあったらしい。一番古いのが花巻(1646.9)にあり、次が全生庵(1652.6)のもの、そして桜山神社の向かいにあるもの(1679.11)だという。もう一つあったのかー
全生庵の時鍾は、盛岡城のものだったが1657年に町方に下げ渡され城下斗米(とっこべ紺屋町東裏通の古称)に移設され、町方持ち(町方請負)の町鐘となった。それが、
十三日町に再移設され、明治維新まで同所で時を告げた。明治以降所有していた町会が、盛岡市民集会所杜陵館の建設資金捻出のため明治 18 年(1885)に売却したという。東京谷中全生庵の寺鐘の追銘に刻まれている4人の発願者のひとり、東京神田材木町の三崎芳之助から購入したものという。お寺に納まって本当に良かった。貴重な文化財がこれからも大事にされることだろう。 明治18年といえば前年の明治17年に河南地区一帯を焼き尽くす大火があった。被害は、家屋1432、土蔵46、神社6、寺院10、学校3、その他300余と焼野原となった。
当然十三日町の鐘楼も焼けていただろうし、早く集会所が必要だったことも、時鍾を売らなければならなかった事情も想像できるナー。(浦川陽子)
by yoko1939 | 2017-03-22 23:01 | 歴史てくてく | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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