歴史てくてく㉙戦後6年間の盛岡市立不来方中学校

この春、選抜高校野球大会に21世紀枠で出場果たした選手10人の不来方高校野球部が全国から注目を浴びた。「こずかた」と読み方を知ったとの声も多くうれしかった。65年前、大慈寺小学校を卒業し入学したのが不来方中学校だった。岩手公園南側の現在彦御蔵の所に校舎が建っていた。古い校舎の2階が1年生の教室で、窓は辛うじてガラス戸だったがその外側には格子がはめられていた。雨が降れば雨漏りがしてきてバケツがいくつも並んだ。なにせ柾葺きの屋根は古くなってだいぶ傷んでいた。
岩手公園の石垣はまだ整備されておらずでこぼこだった。男子はその石垣を登るのが昼休みの遊びだった。
昭和28年河南中学校が現在の茶畑に完成し、全校生徒が自分の机と椅子を持って公園下から茶畑まで行列つくって引っ越しした。
青春時代の懐かしい思い出の一コマだ。
さて?あの古いぼろ校舎の前身は何だったのか?と調べたらお宝が見つかった!2013年盛岡市立河南中学校創立60周年記念誌に詳しく掲載されていた。
 明治37年6月作人館中学部(前私立岩手医学校附属中学校普通学校)が新築開校。大正10年3月に同校廃校後、昭和15年まで岩手女子高校が使用。昭和17年から昭和22年まで盛岡市立青年学校(昭和21年に盛岡市立実業学校に校名変更)が使用、昭和22年4月に不来方中学校が開校(1年間実業学校と併設)した。
 そういえば・・・向かいにこれまたボロの岩手女子高の寄宿舎があり、使われていた。
不来方中学校は28年3月廃校まで6回生まで受け入れ、6年間で400余人が在籍した。1995年に同窓会の不来方石垣会が跡地にささやかな石碑を建てた。
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 不来方中学校の校歌の1番が「中津の流れ 清らかに 遠き郷土の 史を語る 緑の松は作人の 教え伝えて 窓匂う ああ由緒ある わが母校」だった。
 やっと校歌の意味が理解できた。作詞は当時国語の教師吉田慶治先生だった。あの世で「やっとわかってくれたか~」と笑っているかもしれない。(浦川陽子)
by yoko1939 | 2017-05-24 10:55 | 歴史てくてく | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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