ヒロシマ 平和の声聞こえたよ・・・

日本女性会議の開会は午後からだ。。午前中は県原水協の方からお借りした「ヒロシマの声を聞こう」-原爆の碑と遺跡がかたるものーという冊子を頼りに平和公園付近を歩き、午後は分科会「文化・山陽路西国街道探訪」に参加し、しっかりとヒロシマの声を受け止められた日だった。
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 やっぱり最初は原爆ドーム。1996年12月ユネスコが世界遺産に登録した核廃絶の願いがこもっている平和のシンボルです。
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 広島球場の前には「世界子どもの平和像」。確か子どもたちが核兵器をなくするため世界に向けて出来ることはないかと、自分たちでお金を集めて像を作ったという新聞報道に記憶あったが、可愛い像で2001.8.6建てられたものだ。子どもたちの平和のエネルギーすばらしい。
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 どうしても見たかったのが爆心地に一番近い本川小学校。400人の児童と職員中、半分は勤労動員や分散授業。残った200人が授業をうけていましたが、生き残ったのはたった2名だけ・・・。7日からは学校が避難所になり、校庭では死体を焼く火が燃え続け白骨の山となったといいます。授業再開は次の年の2月でした。この校舎を1987年6月壊されることになって児童。教職員をはじめ多くの市民から「原爆の生き証人を残して」の声があがり校舎の一部と地下を残して「平和資料館」として保存されました。
 子どもたちが書いた歓迎の看板の一つに「日本女性会議2007」とありうれしくなりました。そのほか、4つの小学校が見学に来るようです。中には千羽鶴がいっぱい飾ってありました。
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資料館で展示物など見ているうちに、生き残った木があることを知り、見せていただきました。「ニワウルシ」の木です支えをしっかりと大事に保存されている様子が伺われました。被爆しながらあの惨事、復興、そして子どもたちの成長を見続けてきたのかと思うと心打たれた。来てよかった・・・小さいけど貴重な資料館ー生き証人です。

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 元大正屋呉服店。1929年地下1階、地上3階の当時モダンなコンクリート造り、43年には呉服はぜいたく品とされ売買は法律で統制され廃業。この建物には燃料配給統制組合が入りました。爆心地から170㍍という至近距離にあったにもかかわらず倒壊を免れたといいます。地下に書類を取りにいった燃料組合の職員が、爆心直下ではただ一人生き残ったそうです。57年に市が買収し使用していましたが、95年撤去を打ち出し、市民から猛反対され、今だに方向性のないままレストハウスになっている建物だ。
 中に入ってその雰囲気まるでなし、建物を見せて欲しいと申し込んでヘルメットをかぶって地下へ、崩壊するのを待っているように放置された地下だった。
文化庁も広島市に保存を進めているそうだが、保存の方向は出されていないそうだ。今も保存運動が継続されているようだ。川をはさんで原爆ドームと向かい合っている。。
by yoko1939 | 2007-10-19 23:40 | 木木レポート | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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