盛岡らしいまちづくりを求めて20年~区画・再開発通信に掲載

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 NPO・特定非営利活動法人「区画通信・再開発対策全国連絡会議」が月1回発行する「区画・再開発通信」11月号に私の手記を載せていただいた。20年間の議員生活の中で一貫して追求してきた「盛岡らしいまちづくり」「住民が主体のまちづくり」への思いを綴ってみた。
 何か活字になると立派に見えてうれしくなる。前文を載せておくことにする。



「盛岡らしいまちづくりを 求めて」~まちは住民がつくるもの~

 100歳になる岡田ミノさんが優しい盛岡弁で「寺の下は婿町と言われでアンした」と寺の下界隈での昔の庶民の暮らしぶりについて語り、100人を超える参加者を魅了しました。10月14日「盛岡まち並み塾」が5軒の町家を開放して行なったイベントの一つです。
 1997年、市の中心市街地の商店街や盛岡らしさが残る町並みを壊す幅員28㍍もの大型道路、都市計画道路盛岡駅南大橋線に対し3つの町内の住民団体からそれぞれ反対の陳情書が市と市議会に出されたのです。住民の皆さんと懇談しながら毎議会のように「見直し」を主張してきましたが、市は頑として計画実行を貫き、一部事業化し整備を開始したのです。
 4年前の市長選では盛岡らしいまちづくりが争点の一つになり、新市長が誕生し、私の質問に「一部見直し」を答弁しました。
 これまで市の「見直し」は放っておいて時期を待つということでした。そこで最も盛岡らしさが残っている鉈屋町の地域の方々や市民、設計士等に呼びかけ「この地域をどういう町づくりをするのか発信しなければ・・・」と提起。道路整備に賛成、反対の方もいる、まずこの町の良さを地元の方にも市民にもわかってもらう取組みをしようと手探りの町づくりの一歩を踏み出したのです。
最初のイベントは、造り酒屋「岩手川」の古い蔵での若者のジャズコンサートでしたが、100人以上集まり大盛況でした。
 その後、住んでいる町家を開放し「カフェ」を開き、「雛祭り」、2つの共同井戸を使った「井戸と町家」、「新蕎麦と町家」など毎月のイベントはまる4年になります。
特に今年のお盆の迎え火・送り火では1時間だけ交通止めをして伝統さんさ踊り「黒川さんさ」が繰り広げられ50年ぶりの門付け復活に地元の方々に喜んでいただきました。
このようなイベント中心のまちづくりで、地元住民の意識が変化し、市もついに保存の方向に動き出しました。昨年は国交省の「都市観光の推進による地域づくり支援事業」の指定を受け「盛岡市街並み保存活用計画」を策定し、遅まきながら修景補助も予定し、市民と協働のまちづくりをうちだしました。
24年前議員になった時、私の住んでいる地域は、仙北西地区土地区画整理事業をめぐって住民が3割を組織し対策協議会を作って反対運動をしていました。何回も区画整理全国連絡会議から講師を派遣していただき勉強し、市との交渉を重ね、過小宅地30坪を50坪に引き上げ、公共減歩なしで平均減歩率を21%に引き下げさせるなど大きな成果をあげることが出来ました。その後も太田土地区画整理事業の住民運動もご一緒に取り組ませていただきました。
その中での教訓は「都市計画・まちづくりは国・県・市と上から下りて来るもので住民は反対の道しかない」ということでした。
今、盛岡の町家とまち並みを残そうと取り組みの中で、町は住民、住んでいる人がつくるものだという確信が生まれています。
現在盛岡市は盛南開発、駅西口開発など開発優先のまちづくりが進み、150棟ものマンションの乱立などまちが壊れています。
住民のみなさんと共にまちづくりに取り組んだ20年間の議員生活の経験生かし、住民主導のまちづくりを広げていきたいと奮闘しています。
by yoko1939 | 2007-11-26 20:41 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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