腹が立つ政治変えなきゃ!市田忠義参議員が盛岡に来るよ

再延長した国会で、インド洋での海上自衛隊による補給活動を再延長するための新テロ特措法が参院では否決されたが、衆院での再議決で採択。何と民主党の小沢一郎代表は衆院本会議を途中退席して棄権したという。正体見たりだ。
 日本共産党の志位委員長は「ひとかけらの大儀もない歴史的暴挙。米国のいいなりという姿勢があらわれた」と痛烈に批判。
 国民の圧倒的多数が反対しているのにそれが国会では通らない。国民の声ではなくアメリカの声に動かされている。国民は我慢の暮らしをしているのにアメリカのの戦争に手を貸しムダに税金を使うことになる!本当に腹が立ってしょうがない!!!政治を変えるししかない!


 どうしたら政治を変えられるか。解りやすく話してくれる人、日本共産党書記局長市田忠義さんが盛岡に来る。2月11日(月、休)午後1時30分~ 県民会館大ホール
 心優しい政治家だと思っていたがホームページを見てますます好きなった。お母さんの句集発行について書かれている。ほんの少し紹介する。

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 七十歳を過ぎてから短歌を作り始めた義父(妻の父)が、人生の証にと歌集「朝暮」を自費出版した。今年で八十八歳、米寿である。全くの偶然だが私の母も今年米寿をむかえた。けっして上手とはいえないが母は俳句を作る。

 父亡きあと、必死で働きながら私たちを育ててくれた母。なんの親孝行もせず、逆に心配ばかりかけてきた。せめてそのつぐないに句集でもと思いたち、妻や兄弟に相談したところ「それはよい、父と母の米寿を祝い、歌集と句集の出版記念会でもやろう」と話がまとまった。

 昨年夏の参議院選挙、京都市長選挙、そして今年の総選挙と知事選挙。私にとっては多忙きわまる時期であった。しかし、仕事のあいまをぬって滋賀県の実家に帰って母の作った俳句や短歌のノート、同人誌「木耳」などをもちかえった。選挙の連続で帰宅は深夜になることが多かったが、晩酌をしながら夜中に母の作品を整理するのは私の楽しみでもあった。

夜学び昼は勤めて得しお金肉など買えと送りてくれぬ 

 母がこんな歌を創っていたことなどまったく知らなかった。私が法律事務所や龍谷大学の図書館に勤めながら立命の二部に学び、わずかばかりの仕送りをしていた頃の歌だと思う。おもわず涙がこぼれた。

  新しき学生服やピカピカの自転車届く暮れの園舎に 

 これは、母が幼稚園に住みこみで用務員として働いていた頃の歌である。高校一年だった私と中学一年の弟も一緒に住みこんでいた。高校を卒業して京都に就職していた兄が私に通学用の自転車を、弟には学生服を送ってくれた。とびあがって喜んだことを昨日のことのように思い出す。

いろんなことを心の中で思いめぐらしながら必死で整理した。
 
 はじめに書いたように母は幼稚園の用務員として、住み込みで働いて私たちを育て、学校へかよわしてくれた。園児たちが手を洗ったりするための水槽に、手おしポンプでくみ出した水をいっぱいためるのが、毎朝の私と弟の仕事であった。母が病気のときは学校を休んで、少し離れた小学校へリヤカーをひいて給食をとりにいったこともあった。

 この頃の園児たちが、二十年、三十年たった今も、時々嫁ぎ先から郷里にもどってくると母に「お元気ですか」「長生きしてくださいね」と激励にきてくれるそうである。

 米寿とはいっても現在の平均寿命から考えればそんなに年老いたわけではない。大西良慶さんの例もある。いつまでも元気で長生きして俳句をつくりつづけてほしいし、子や孫たちを見守ってほしい。

 そしてこんどは白寿を記念して第二の句集をもう一度みんなでつくってみたいと思う。

 1990年5月                           市田 忠義 


(この文章は、市田志ん句歌集「幾山河」のあとがきとして書いたものです。なお母は、1993年6月、89歳で亡くなりました)
by yoko1939 | 2008-01-11 00:09 | 木木レポート | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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