反戦川柳人鶴彬の墓前でつどい


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「手と足をもいだ丸太にしてかへし」と詠った、反戦川柳人として知られる鶴彬(つるあきら・本名喜多一二。1909~38)。石川県高松町=現かほく市の出身ですが、墓は盛岡にある。

 今日は1928年暗黒時代に戦争反対を掲げて闘っていた日本共産党に対する大弾圧「3・15大弾圧事件」の日から80年にあたる。この日を境に平和を唱える人々が次々弾圧されて行った。
 鶴彬は16歳で川柳を発表し、川柳を通して反戦平和を訴えて、悪法の治安維持法で検挙投獄、2回目の検挙で留置場で赤痢にかかり29歳で命を奪われた。


 鶴彬を語る盛岡の会が5年前に結成され、以来春は3月15日、秋は鶴彬の命日の9月14日「鶴彬のつどい」を開き墓前に花を手向けている。

お墓は名須川町の本誓寺隣の光照寺墓地にある。お兄さんが染物屋を盛岡でやっていたことから遺骨を引き取って特高が見張るなかで納骨したそうだ。今年は没後70年だという。

 憲法改悪の動きが盛んになっている今日、鶴彬を偲びつつ平和の叫びをしっかり受け止めて行こうとの決意を新たにした日だった。
by yoko1939 | 2008-03-15 20:07 | 木木レポート | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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