三閉伊一揆を訪ねる 要求は重税反対と悪い殿様やめろ1だったんだって・・・


日本共産党南部後援会主催の恒例のバスハイク・・「龍泉洞見学と三閉伊一揆を訪ねるツアー」に参加。
 案内人は三閉伊一揆を語る会事務局長の牛山靖夫さん。足で稼いで資料を探して積み重ねた説明だけにとにかく詳しく、はじめて知ることも多く激動の江戸末期の御百姓(正確には農民ではなく庶民のことを言うのだそうだ・・・)の燃えるようなエネルギーをもらった楽しい一日だった。

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 三閉伊一揆は弘化の一揆が1847年1万2千人(人口の20%)、嘉永の一揆が1853年1万6千人(人口の25%)が参加した、南部藩の重税に反対、悪政を強いる殿様は辞めて欲しいという現代にダブル要求で闘い、弘化の一揆では果たせなかったものを、嘉永の一揆で実現し勝利させ、しかも「お咎めはしない」という安堵状(4重の桐の箱で保存されている)まで取り交わしている。その指導者の一人が畠山太助なのだ。

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 最初、名須川町の本誓寺で一揆の指導者の一人、畠山太助の墓参り。1873年の田野畑村で起きた事件で嫌疑をかけられた畠山太助は盛岡で連日の拷問を受け宿預かりとなった本町通の牛方宿河権旅館(現在の平野商店)で5月27日抗議の自決をとげている。河権旅館では、菩提寺の本誓寺に太助を葬り、墓をたて百数十年守ってきたという。
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 田野畑民俗資料館は実質三閉伊一揆の資料館。一揆の資料館は全国でここだけという貴重な資料館だ。田野畑村の一揆の会の会長さんが出迎えてくれた。



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 資料館の敷地には三閉伊一揆の像があり、弘化の一揆の指導者切牛弥五兵衛と嘉永の一揆の指導者は畠山太助の像が建っている。
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 弘化の一揆の指導者佐々木弥五兵衛のお墓もお参り。牛山説では万六が本名ではないかといっていた。
 鉈屋町界隈も結構三閉伊一揆と繋がるものがあることも知ったツアーだった。
by yoko1939 | 2008-05-18 17:03 | 木木レポート | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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