盛岡まち並み塾お休み処主催で「黒川さんさのお話聞く会」を開いた。
黒川さんさ保存会の松本敏邦会長さんと北田晴男副会長さんがいらして話してくれた。
お二人のお話は、実に興味深いものだった。
安倍貞任・宗任が支配していた平安後期に、八幡太郎義家が攻めてきて高陣山に陣地を築いたが武士の士気が低下しないようにと踊っていた。それを住民が見て覚えて踊り次いだもので、25演目以上の踊りがあるという。
提灯、歌かけ、太鼓、笛、踊り手の順番で、一八がいたちを持って最初に踊る。笛も踊るのが特徴。おはなをいただいたときの「はなぶれ口上」も芸の一つ。金額は倍にして紹介する。
衣装は浴衣を短く来て脚絆をはき、わらじもハナオが着いていない特殊なもので、太鼓の人の衣装は蚊帳のような麻の胴着に袖がメリンス。腰帯も7色で順番もきまっおり、花笠をつけいる。浴衣は桔梗の模様・・・
踊りも衣装も伝統を守り続けている。。
踊りの流出を避けて長男にしか教えなかった。昭和43年に復活させ、今年40周年になる。戦後、教育委員会がすべての伝統芸能に保存会をつけさせたが、昔は〇〇組、とか〇〇連中としていた。
黒川さんさが全国に広がってきているが、伝統の踊りを変えないでほしいということで、毎年全国から集まってもらい講習会を開いている。
胴着の麻を確保するのが大変。わらじも作る人が少なくなってきて自分たちで作れるようにと考えている。浴衣や胴着は石岡呉服店で作ってもらい、わらじは北田荒物店に確保してもらっているなど鉈屋町とのつながりも紹介してくれた。
踊りの激しさや衣装を見れば武士の踊りの名残に納得・・・。
「戦がいやになった武士が黒川の住民にかくまってもらい、そのお礼に踊りを住民に伝承した」・・・なんていうほうがロマンがあるとおもっていたのだが・・・・・