カテゴリ:盛岡を楽しむ( 188 )

元朝まいりに大宮神社へ・・・

元朝参りに初めて大宮神社へ出かけた。
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下町で育ち「元朝参りは八幡宮」というのが身についていた。「この辺の方は大宮神社なのです」という宮司さんの言葉が引っかかった。そういえば町内の駒形神社のお祭りには、大宮神社の宮司さんと大宮神楽に来ていただいている。

2日の昼過ぎだったのに次々初詣の人が途切れない。しかも臨時のお飾りやお守りの販売所があった。納得・・・
by yoko1939 | 2014-01-02 21:23 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

綺麗!イルミネーションを見て思う・・・

明治橋を渡って下の橋に向かう交差点を左折して「アツ!!」
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綺麗なイルミネーションがいきなり目に飛び込む。若い人たちが携帯で写している。思わず車を止めて写す人に加わりカメラに収めた。

しばしこの美しい風景に見とれたがーーー

思い出しちゃった・・・2年前の3・11の日、真っ暗だった盛岡を・・・停電で真っ暗で寒さに震えていた。そして電気がついたとたんにテレビで見た津波で被災した沿岸の風景ーー何日もテレビから離れられずどうしたら良いのか考え続けたことを・・・。

最近の報道は復興に光を当てているが、被災者の多くの方々はいまだに仮設住宅暮らしがほとんどなのだ。

被災地へ思いを馳せ、早い復興を願い~なにかしなきゃあ~と綺麗なイルミネーションを見られる幸せを感じながら思った。
by yoko1939 | 2013-12-02 22:11 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

岩手山初冠 雪昨年と同じ日に・・・

寒ーいと思ったら 「岩手山初冠雪」とテレビで放映された
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8時13分 残念ながら雲の下からちょっと見えるだけだった。平年並みで昨年と同じひだったという。
いよいよ長い冬が来るのかー
by yoko1939 | 2013-10-13 21:47 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

盛岡秋祭り9台の山車と、い組の望楼

盛岡秋祭りがはじまった。今日は八幡下りパレードだ。9台の山車が勢ぞろいする。久しぶりに出かけた。

八幡町い組 出し物は曽我兄弟十郎五郎「夜討曽我」
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さ組
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盛岡観光協会コンベンション協会
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一番組
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の組
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な組
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三番組
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わ組
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よ組
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台風の影響で明日も明後日も雨のようで、9台全部見られるのは今日しかない!と午前中は3か所も走り回ってから駆け付けた。見る場所は第4分団屯所前「ここ!」と決めている。
分団の望楼と山車のツーショットは、盛岡らしい味がある。

もう一つ望楼にこだわる理由がある。
議員時代の事だが・・・望楼の残る屯所の建て替えの時、「望楼のある屯所を残せ!」の市民運動が起きた。趣のある建物を残さなきゃと決心し、市議会でねばりにねばり、がんばった。そして望楼だけが残せたのだ。

建物がまちなみから後退したため目立たないことと、残った望楼がうまく活用されていないことが残念でならないが、いま八幡町のみなさんが歴史を活かしたまちづくりにがんばっている。おおいに期待したい。
by yoko1939 | 2013-09-14 22:08 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

盛岡町家旧暦の雛祭り

風が冷たく寒い!友人たちと4人で出かけた。

仙北町
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平野家 今年初公開となった仙北町の平野家にお邪魔した。入ってビックリ・・お家の素晴らしさに圧倒された。築130年というが、道路の拡幅で前の家をほぐしてそれを組み立ててたてたという町家だ。天井の太い梁は常居から玄関までの長い1本の木だった。
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もちろんお雛さまも自家の江戸時代のお雛さまですばらしいものだったが・・・ついついお家を見入ってしまった。
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金沢家 毎年テーマを決め違うお雛様が観られるのが楽しみ・・・今年は女子会だという。
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三人仕丁もそれぞれの家の趣があって面白い。

寺の下 
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上野豆富店 五月人形も一緒に飾っているが右上に神棚が見える。明治の町家。ここの人気はえくぼの三人官女と説明上手なおばあちゃん。
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中村石材店 今年は花巻人形だったが、大黒さんと恵飛須さんが何とも良い味を出している。

鉈屋町
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兼平家 人形は趣があるものだった。弁慶に牛若丸、そしてショウキさんが面白い!!
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小川家 小学5年生のお孫さんが着物姿でお出迎えしてくれた。
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島村家 ひな人形のご馳走がすごい!お膳のご馳走のほかにトゴロ、ヒロッコ、バッケと春のものが並んでいた。
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そこかしこにセンスの良い展示がみられるのも楽しい・・・
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和田米穀店 今は米屋さんはやってないが、米枡、はかりや家紋が入った風呂敷など古い道具が面白い。
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佐藤八百屋 この趣のある店構えは下町の匂いがして大好きだ。下手な改築などしないで欲しい・・・
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小川(吉田)家 寒さ対策で常居の木組は塞いでいるがきっとすばらしいものではないかと想像させる。
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公開されていないがこの2軒の町家は鉈屋町のまち並みを引き立ててくれている。

川原町
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川村家 こちらの明治の町家もすばらしい。
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坂本家 鍛冶屋さんだったという明治の町家で、神棚は八幡宮を小さくしたものという立派なもの。ひな人形もすばらしい。
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千手院の四季桜もほぼ満開に近い
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大慈寺のカツラ、祇陀寺や長松院のシダレカツラの花も咲き始め木が紅く染まっていた。

やっぱり春が来ていた。
by yoko1939 | 2013-04-13 15:28 | 盛岡を楽しむ | Comments(1)

吉田松陰追っかけ③松陰盛岡に入る

嘉永5年3月11日吉田松陰と宮部鼎蔵は中津川をわたって盛岡城下に入った。

松陰たちも旅の途中見かけただろうか?岩手公園に咲くまんさく(3月27日撮影)は春一番の花で、3月初めから咲き始める。
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織田久著「嘉永5年東北」によれば・・・
翌日12日山影村に江端梧楼の兄江端春庵の遺族を訪ねた。春庵の母と妻、2人の子どもが息をひそめて暮らしていた。母は「あなたたちを見ていると梧楼が目の前にいるようだ」と涙を流した。山蔭村はどこだろう?

その足で2人は春庵の墓参りしようと香殿寺(『内史略』には天福院とあるらしい)へ行ったが、春庵の仮葬所は処刑人の咎によって板塀で囲われていた。憤慨した2人は板塀に筆を走らせた。松陰の日記には「拝哭の余り、忼慨に堪えず、鼎蔵国風二首を題す。予も数句を題す」とあり日記にも記載されているが、誰かに目撃されていたらしく横川良助の「内史略」にも記録されているという。

板塀に書き記されていたものは織田久著「嘉永5年東北」を写させてもらう
「嘉永五年三月十二日、旅の士両人、(中略)板塀に直々、矢立墨坪を出し書きつけ置く、春庵は、江戸学者東条文蔵の門下にて文学世に鳴る者なりしが、さだめてその同門にして特に入魂(じっこん)にせし者なるべし云々、昼九ツ参拝す。
人衆勝天亦阿久 人衆(おお)ければ天に勝も亦何ぞ久からん
請俟他年天定時 請う他年天定まるの時を俟(ま)て。
男児報国一死足 男児国に報いば一死も足る。
黄泉之下君瞑目 黄泉のした君瞑目せよ。
  長門国松平大膳太夫家中 吉田大二郎(年齢三十一、二)
なき人をよその袂をしぼりつつ なみだのしづく手向けこそすれ
あはれいかに草葉の陰にて思うらん 同じこの葉の行末いかにと
  肥後熊本藩中 宮部鼎蔵増実(年齢二十一、二)」

宮部と松陰の年齢は取り違えているが、意識的であろう。仇討を志す江端梧楼と遺族への悲憤の思いがあふれている。

そんな気持ちを抑えきれずに北上川の舟橋を渡り奥州街道を南へ一時間ほど行くと津志田
で、道の両側に妓楼が立ち並んでいた。
松陰は日記に「津志田村を過ぐるに、方(まさ)に道樹を仆(たお)し、良田を廃して新たに妓楼数十家を起(た)てんとす。南部の国事、実に悼むべきかな」と記されていた。
by yoko1939 | 2013-03-31 22:32 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

吉田松陰の追っかけ②なぜ脱藩して東北の旅に出たのか?

2月10日に学んだ吉田松陰と盛岡がきっかけですっかりとりこになり、吉田松陰の追っかけをしている。

仙北活動センターの図書室で取り寄せてもらい織田久著「嘉永五年東北」-吉田松陰『東北遊日記』抄ーを借りて読んだ。とにかく面白かった!!
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なぜ脱藩までして旅に出たのかわかった
吉田松陰が東北の旅に出たのは嘉永5年(1851年)12月15日だった。同行者は親友の熊本藩士宮部鼎蔵と、浪人で亡兄の仇討に盛岡の戻るという南部盛岡藩士安芸五臓(本名江端五郎)だった。

 出発の日を安芸五蔵のことを思いやって赤穂四十七士の討ち入りの日を決めていた。ところが長州藩から旅行の許可は早々に下りていたものが、通行手形が手間取り出発の日に間に合わなかった。他藩の者に長州人は約束を守らない輩と思われるより亡命し一身に罪を負う道を選んだという。

 参勤交代を待って仇討をやるという安芸と白河で別れて、松陰と宮部は会津に向かったと。仇討を助勢するために旅に出たと思っていたのは間違いで、度重なる外国船の侵入に立ち向かえる国になっているのかを確かめる遊学だったらしい。
by yoko1939 | 2013-03-30 21:12 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

盛岡城を造った人々を思う散歩・・また楽し

いつももっと早く出かけていたが寒さがやっと和らぎ出かけた。岩手公園のまんさくは満開だった。
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吉田松陰の追っかけしているうちに、南部藩の歴史をちょっぴりかじり盛岡城の歴史にぶつかった。

 盛岡城は、南部信直、利直、重直の三代の城主にわたる難事業で四十年を費やし一六三三年(寛永十年)に完成している。
 築城工事に動員された人夫は日々2000人以上だったというから想像を超える。

 雪博士の高橋喜平さんは著書「岩手公園の四季」で「わたくしの頭を去来するものは、数多くの人々への思いである」とひどい苦役を強いられた人々へ思いを馳せ、「石垣にはそんな人たちの怨念がひそんでいただろう。長い年月がそれを流し夢とロマンをかきたてる」と見事な石垣を造った石工の技術をほめたたえている。

 良質な花崗岩を使った美しい石垣は高い評価を受け、盛岡城は、白河城、弘前城と並び東北の三大城跡といわれている。

 桜山神社の右側と菜園側のトイレの後ろの石垣に、築城の奉行の名前が刻まれているのも興味深い。下の橋教会の後ろには南部盛岡藩の彦お蔵がある。

 明治維新で政府に建物は壊されたが、国から南部家が4000円で払い下げられたものを、県が譲り受け、明治三九年に岩手公園が完成し、盛岡市に昭和九年移管となった。

盛岡城を造った人々を思いながら歩くのもまた楽しい散歩だ。 
 
by yoko1939 | 2013-03-26 19:52 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

3月11日正伝寺の明治の三陸津波供養碑に手を合わせる

三月十一日、東日本大震災から二年目。震災後、犠牲者を悼み多くの方々が手を合わせている碑が盛岡にある。
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 盛岡市愛宕町の正伝寺の境内に建つ明治29年の「三陸大海嘯(つなみ)難死者供養」碑だ。
 結構大きい碑で真ん中に「三陸大海嘯(つなみ)難死者供養」と刻まれ、その両脇に「明治二十九年丙日六月十五日{旧暦}五月五日午後八時海嘯(つなみ) 岩手県死亡者25、413人宮城県同3、314人青森県同346人総計29、073人当山24世帯心水代」とあった。
 
 碑の後ろに周って見ると、発起人と賛成者の名前が刻まれており、七回忌にあたる明治三十五年に建立されたものらしい。
 正伝寺の大黒さんに聞いたら「うちの寺の檀家は商売家さんが多い。沿岸に商売に行って犠牲になった方の関係者が建てたと思う」と話していた。

 津波研究家の故山下文男さんによれば「青森県から宮城県にかけて沿岸には約200基あるが、内陸に津波の碑は珍しい」「岩手県の犠牲者は山奈宗真が調べた18、158人が最も近い」という。正確な人数が把握できないほどの大津波だったことを実感させられた。
 今日も多くの方が花を手向けていた。「忘れないよ・・・」と手を合わせてきた。

夜、中学校1年の孫に「去年は大変だったねー暗いところで、寒くて寒くてペットボトルに毛布かけてあったまっていたねー」と言ったら、珍しく新聞を広げて震災2年の記事を見ていた孫は「俺らはたった3日で済んだんだから良いよ。この人たちはまだまだ続いてるんだよ」・・・・おっとー成長したね・・・と思いながら、思いを込めて「そうだねー」
by yoko1939 | 2013-03-11 16:02 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

南昌荘の雛祭り

昨日今日といくらか寒さが和らいでやっと南昌荘の雛祭りに足を運んだ。

村井家のお雛様は、明治17年の大火を蔵の中で生き延びた江戸時代のお雛様だという。5人囃が7人で、なんか賑やかなお囃子が聞こえてくるようだ。
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水原家のお雛様も江戸時代のお雛さまだが、端午の節句のお雛様が面白い。牛若丸と弁慶、弁慶が大男だということがよくわかる。
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桃太郎や犬、キジ、さるの家来も大きいのに退治された大きいはずの鬼はなんと小さいこと。面白い!
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星山家の御殿雛は、昨年は段飾りで御殿に入っているお雛様の顔がよく見られなかったが、平面飾りになってお顔をよく見えるようになった。飾り方も型にはまらないで良いんだ!
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三人仕丁(さんにんしちょうともさんにんじょうごともいうらしい)はなぜか二組あったが、こちらの三人仕丁が見てて愉快になってくる。
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三人仕丁は宮中の雑役を務めている人形で、五段目に飾られるもの。三人の顔を見ると、怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸で人間の喜怒哀楽を表しているという。なんか一層親しみを感じた。
いろんなお雛様が飾ってあったがやっぱり古いお雛様に目が止まってしまう楽しいひと時だった。
by yoko1939 | 2013-03-02 22:59 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


by yoko1939
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