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思い出の中の中井汲泉展

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盛久ギャラリーで開かれている「思い出の中の中井汲泉展」を見てきた。主に中井家、村田家、福田家所蔵のものだが初公開のものが7点ほどあるという。染め絵の裸婦は線だけなのに迫力がある。弥勒菩薩はなんともいえない魅力がありひきつけられる、黒だけの菩薩の色の使い方もすばらしい。中井汲泉ファンならずとも必見の価値あり。9月2日までという。
 汲泉は、京都生まれ盛岡中学の美術教師として昭和4年から18年まで在職。31年まで盛岡で活躍し、岩手の美術の発展に尽くし、特に舟越保武、松本俊介、福田隆、海野経、澤田哲郎、鈴木貫爾、吉田清志など教え子から巨匠を輩出。
 幸いギャラリー及川昭伍館主さんとお話できた。盛岡中学の美術部は絵画部と玩具部があって汲泉は生徒に自分の好きなように画かせ「自分の気持ちで描くよう」指導したといいます。
 汲泉展を開くといったら多くの方が協力してくれたが、法泉寺の陶器の観音像は和尚さんの仏間で毎日拝まれているものでめったに見られるものではないという。
 ついでにNHK朝ドラの加賀美旅館の玄関の額について聞いてみた。「あれは盛岡二校の書道の先生がドラマのために書いたもので同じものを吉田先生が飾ってくれと持ってこられた」というのが真相だった。
by yoko1939 | 2007-08-31 15:32 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

昨年倒産した酒造会社、岩手川鉈屋町工場跡地にユニバースが新店舗を開発よていしている。これまで住民説明会など行われてきたが、盛岡まち並み塾では8月30日谷藤盛岡市長に会い、鉈屋町の町並みを守るため市が努力してほしいと次の要望書を提出しました。

平成19年8月30日
盛岡市長 谷藤裕明様

           市の旧岩手川活用施設と
           ユニバースの新店舗の開発についての要望書

                     盛岡まち並み塾
                       代表世話人         村井軍一
                      世話人 松尾良一、大坪幸平、大坊公二
                      事務局      渡辺敏男、浦川陽子

平成19年5月8日に旧岩手川周辺町内及び同7月4日、鉈屋町町内住民に対する説明会を開催していただきありがとうございました。
その結果、当会において町内及び周辺住民の間での問題点を整理し、町内会役員も含めて何回か協議しました。現在でも今までの説明では理解できない点が何点か残っています。
旧岩手川建物の一部が、ユニバースから市へ譲渡され保存活用されることになり、ユニバースの配慮のおかげと思います。しかし新店舗建設に関しては、別な角度から協議する必要があると思います。
つきましては、我々の考えをまとめましたので、ユニバースとの再協議とともに私達の要望事項実現のために努力をお願いいたします。

1 ユニバースに対して立地法申請の前に、店舗規模及び営業内容、営業時間、近隣対策等を地域住民に説明し、早急に協議する場をもうけていただきたい。
ユニバースの出店を歓迎すべきだろうと意見もあります。ユニバースが鉈屋町の住民にとって大切な施設になってほしいという願いからです。その一方、周辺住民は、鉈屋町を住まいとして生活している方がほとんどです。夜間営業時間、車騒音、安全、外部照明、子供の夜遊び等の対策がどうなっているのか、大変心配しているのです。
けれども、これらの問題について、市の代弁では、ユニバースの考えが我々には十分に伝わって来ていません。

2 旧岩手川敷地内に、鉈屋町の通りから、新店舗へ車利用者を誘導するために新設
する道路は中止し、北上川側道路から出入りするようにしていただきたい。
ユニバースは、鉈屋町の狭い道路、交通の状況、まち並み保存の動きと都市計画道路の見直し等、本当に地域の問題点を理解しているのでしょうか。
地域の問題点を増長するようなことを、地域の支持を大切にしなければならない企業が本当に行なおうとするのでしょうか、理解できません。
市の説明にあった「保存建物と土地の交換について、鉈屋町の通りから、新店舗への誘導路の新設が絶対条件」とすれば、先日の大和ハウス問題と同じではないでしょうか。大和ハウスは、地域の環境を売りにしながら、自分達は地域の景観にほとんど配慮していませんでした。  
しかし、話し合いを持つ中で、買手への配慮以外に、企業の社会的責任として地域にも配慮しなければならないことを理解し、こころよく変更に応じてくれました。
鉈屋町の通りは、通過交通によって、毎日の生活が脅かされており、さらに新たな増加交通量が発生することに、多くの住民が危惧しています。この通りは、住んでいる住民にとっては長く生活と密着しており、単なる車のための道路ではありません。両側に家が並ぶ町として道路自体が近隣のお付き合い、コミュニティの場であり、お盆の迎え火、送り火のような伝統的歳時に欠かすことが出来ない生活の場です。道路交通法だけで管理されているわけでなく、水をまいたり、ごみの掃除をしたりする住民の道路なのです。大慈寺小学校もあり子供達の通学路です。そして,高齢化も特に進んでいる地域です。
去年実施された街並み保存調査のアンケートでも地域外の訪問者はもちろん、住民アンケートでも過半の住民が歩行者優先のための措置を希望しています。
このことは、都市計画道路盛岡駅・南大橋線の見直し以前からの近年の生活実感の重大な問題です。
現在の道路事情では、新たな施設開発後は、通過交通は明らかに増加し、近隣環境の悪化は助長されます。車利用者については、北上川側道路に誘導する方策を考えていただきたい。

3 出店周辺道路のキャパシティに適正規模の店舗があるはずです。
市はユニバースに、この視点から検討し、指導していただきたい。
車時代の新団地、郊外の道路整備された地区から生まれた現在のショッピングセンターが、旧市街地で開発される場合には、道路のキャパシティに適正な店舗規模の検討が必要であると思います。
この地域は、近代の都市計画が進まなかったため、道路は昔からのままで、車の無い時代の城下町時代のまちづくりがベースとなっています。このため、車のための広い計画された幹線道路はありません。
説明会では建物保存については説明がありましたが店舗については十分な説明がありませんでした。町内には、ユニバースのスーパーは、仙北の盛岡南店と同規模で、これに1~2店舗の専門店という話が一人歩きしています。これが本当だとすると、店舗面積は4000~4500㎡の規模になるのではないでしょうか。
もし、そうだとすると、この店舗規模は、周辺の道路事情に対してほんとうに無理がないでしょうか? 
ここには、歴史的な生活があり、この地区の環境に対する十分な認識と配慮が必要です。
敷地の大きさ、近隣の同業競合店との差別化、運営コスト等の経営上の点からだけで一方的に決められているとしたら問題です。ぜひ、踏み込んだ検討と指導をお願いいたします。

4 旧岩手川敷地「全部」と旧市立病院跡地との交換が何故できないのでしょうか。
私達は旧岩手川「全部」との交換を望みます。
いまだに、解けない疑問です。旧岩手川約2800坪、旧市立病院約3000坪のとの間で、等価交換でなく、等積交換でも残余があります。何故できないのでしょうか。また、この交換のほうがお互いの施設活用上、利便上もよいはずです。
旧岩手川の一部約1300坪部分を旧市立病院と等価交換したとします。
旧岩手川土蔵、裏側の敷地は、道路挟んで民間地1000坪で、ユニバースが使う土地と聞いています。この場合、市立病院側の交換土地は、旧岩手川側の土地が当てられるのでしょう。
とすれば、交換後の残る市所有地は、北上川側の道路角部分となります。
つまり、市が取得した旧岩手川敷地を活用した場合の来訪者駐車場は、民間地1000坪を挟んで離れた部分になる。一方、旧岩手川活用敷地に連続して残るユニバースの敷地は、店舗及び駐車場(店舗)です。
利用者側からすると、不便だけでなく、判りにくく混乱してしまうと思われます。

5 歴史的景観問題に対しては、市、住民、専門家で構成される検討、判断する
仕組みを作ってもらいたい。
「店舗の外観はこの地区の歴史的景観に配慮する」と言っていると聞きましが、計画に対して、誰がどのように判断するのでしょうか。大和ハウス問題のときも、市民、専門家、市との話合い、検討の場があったことで解決できたと思います。今回も同様な場を設置してほしい。

6 鉈屋町消防コミュニティ施設計画を白紙に戻して、旧岩手川活用施設と一体的に
計画し直し、地域のシンボルとして歴史的まち並み修景の新築モデルとして建築し
てほしい。同時に、消防資料館の併設、現番屋の保存活用、も合わせて実現させて
ほしい。
来年度予定されている消防コミュニティ施設の建替場所が鉈屋町の通りに移ることは、歴史的まち並みの修景形成の上で重要な位置となります。また、旧岩手川保存活用施設の正面側と連続した景観を形成することになります。
① 計画を白紙に戻して、活用施設と一対的に新たに計画し直し、地域のシンボルとして、歴史的まち並み修景の新築モデルとして建築してほしい。
② この消防団には、歴史的資料も残っており、他の消防団の資料提供も合わせて、(仮称)「南部火消しの伝統資料館」を併設し、保存活用施設の一部として見学、体験できるようにしてほしい。
③ 現番屋も、昭和初期の建築物としてこの地域にとっては重要な歴史的資源なので、是非保存活用も実施していただきたい。
by yoko1939 | 2007-08-30 11:49 | Comments(0)

朝、實川さんの携帯へ宝永山荘から「トイレの鍵をもっていかなかったか?」という。。私だー下山した時トイレに入ってズボンのポケットに入れたままだ、荷物と一緒に送ってしまった。「盛岡に荷物が着いたら送ります」というと「郵便だといつ届くかわらないから私に送ってください。届けけます」と隣へ届けるようにいう。きっと316回目の登頂となるのだろう。 
實川さんの案内で箱根まで足を伸ばし大涌谷を見て帰ってきた。
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 東北新幹線にのってほっとし富士山を振り返った。實川さんは2晩寝ないで8往復したり、日本橋から歩いて登頂したり、ただの315回ではない。實川さんの記録に挑戦して300回をこえたという東和町出身の佐々木さんや84歳で30回という大阪の方にも会い、富士のつわものが沢山いることを知った。そんなに富士山に向わせる魅力って何?とにかく若者が多く、家族と一緒に登っている小学生にも沢山出会った。しかも驚くほどみんな軽装でハイキングにでも行くような姿、水1本で登ってくる若者、サンダル履きで頂上まで行ってきましたという柔道部の若者、夜9時になっても下山してくる人が続く。誰も捜索願いなどと騒がない。他の山では見られない様相なのだ。實川さんいわく「1人1人その人の登り方があるんです」
 盛岡が近づいてやっと「登ってよかった・・・」と思った。そういう山かなー。とにかくも、68歳・議員引退記念となった。
by yoko1939 | 2007-08-28 15:17 | 花・山だより | Comments(0)

4時40分起床。周りはガスがかかって期待していたご来光は見ることが出来な
かった残念!實川さんに「持ち物はおにぎり、水、雨具だけ。軽くして下さい
」といわれリュックをさら軽くし5時35分おにぎり持参で出発。緊張と寝不足で
(2人分のふとんで寝たのに・・・)ちっとも前に進まない。
 新7合目(2,780m)6:30着。しばらくすると2人から離れ、でも何としても
剣が峰まで行きたい!との思いでマイペース2~30歩歩いては深呼吸という
亀のような歩みに實川さんが付き合ってくれた。「7合目から上は晴れてますよ
」と下山してくる人から声をかけられ「御来光見れたんですか?」と聞き返す
と「綺麗でした」うらやましいー。
 元祖7合目(3010m)7:47着。7時出発予定といっていた83歳の戸田さ
んがもう追いついてきた。2人に戸田さん、私には實川さんがサポートしていた
だき最高の山行環境で幸せ・・・でもやっぱり足は速くならず、他の方々にど
んどん追い越される。でも、下山も多く若い人たちに「がんばってください!
」と声をかけられ元気になる。實川さん「富士山に来ると、日本の若者も捨て
たもんではないと思いますよ」とー同感。
 8合目(3,250m)8:45着。先発の3人はすれ違いに出発。相変わらずペース
は上がらなずゆっくりゆっくり・・・でも少しゆとりが出て實川さんが8月6日
登頂したモンブランの話を聞きけた。登頂2日前現地のサポーターの会長が滑落
死したばかりで誰もサポーターがついてくれず、同行者4人中登ったのは女性と
2人。ところが途中強風でその女性が何回も飛ばされそうになって下山してきた
人に頼んで単独で登頂したというものですごい人だ。登頂の写真は登ってきた
外国人に写してもらったという。そんな話を姫神山にでも登ってきたように淡
々と話してくれる。
 登っているうちに異様なものが見えた。ブルドーザーが荷物を運んで登って
いく。専用の道路があるのだという。「あの奥に見えるのが頂上ですよ」いつ
もの富士山が想像つかない「うそー」といいたくなる。
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 9合目(3,470m)9:47着。先発が待っててくれ記念撮影。昨日はここから渋
滞だったそうだ。今日はずいぶん少ないというが人・人なのだ。「ここまでく
ればもう高度障害起きませんか?」と聞く「そんなこと心配してたんですか。
大丈夫」といわれ安心。でも頂上が見えているのになかなか進まない。「もう
こんなところに2度と来ないぞ」と思う。残雪に慰められながらがんばっていた
ら9合5勺の直前に實川さんの富士山友達もう一人のつわもの大貫さんに出
会った富士山500回を超えているという。戸田さんが上から飛び降りてきて
記念撮影。
 9合5勺(3,590m)10:44着、山小屋が閉店となっていた。「もうすぐです
。後は楽です。今日は暑くないしそんなに風も強くないし、気圧も良し、いい
条件です」と慰められながら、最後の急登を登りきる。
 頂上だー富士山本宮浅間大社奥宮へ11:50到着。バンザーイ、ヤッター。
先に到着していた戸田さん「ようがんぱった。自分の足でここまできたんよ」
と関西弁で声をかけてくれた。「ありがとうございます」とみんなに握手。
用意していった「實川さん富士山登頂315回2007.8.27」と書いた
ハンカチを取り出して記念撮影。
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 最後の目的は最高峰の剣が峰に向う。剣が峰12:30着日本の地面の最高峰
3,776mだ。またみんなで握手。よくぞここまで引っ張ってきてくれたという感謝
でいっぱいだった。
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 お鉢は圧巻だったがお鉢周りは体力に自信なくあきらめ、すぐ下山。頂上の小
屋も昨日の日曜日で終わりとなっていた。9合5勺で昼食。おにぎりはひと口しか
食べれなかったが、がんばって盛岡から持ってきたブルベリーをおもいっきり食
べて元気になって、食べかけのおにぎりは9合目で食料もってこないという若者
にあげた。荷物が軽くなり下山は相変わらず時間はかかるが調子はよく6合目
宝永山荘到着16:45だった。計算したら11時間もかかった・・・ベンチへ座った
とたん疲れがどっと出て放心状態で「富士山はどうでした?」と聞かれても「満足
でした」と答えるのがやっと。
宝永山荘でご馳走になった温かいしいきのこ茶で元気を取り戻すし5合目の駐車
場へ到着。
 ゆっくり歩いてかえって足が痛いという實川さん(申し訳ない・・・)の運転で宿を
探し回って御殿場の高原ホテルへ宿泊。
by yoko1939 | 2007-08-27 21:22 | 花・山だより | Comments(3)

いよいよ富士山登山に出発ー。朝7時30分の「はやて」に女性3人乗り込む。沼津駅北口で6月盛岡来盛した山男實川欣伸さんが迎えてくれた。日程を打ち合わせし6合目の山小屋18時到着の予約をとってくれ(携帯がちゃんと通じた!)、時間があるのでそれまで案内しますと車を走らせた行き先は、白糸の滝と青木ケ原樹海を散策。感激したものの富士山に登るのにこんなにのんびりしていて大丈夫なのかナー。
 夏休み最後の日曜日で道路の渋滞で富士宮口5号目に付いたのが6時。日曜日とあって500台の駐車場が満杯だったようで、ここまで来る道路脇に車が並んでいたが、着いた時間が幸いしたのか登山口のすぐ近くに駐車できラッキー・・・車から降りたとたん空気が違う。ここがすでに岩手山より高く2400m、うーん高度障害気をつけなきゃと緊張する。
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 15分で6合目の宝永山荘まで到着し、「歓迎 岩手 浦川様」の看板ありびっくり・・。
 予約しておいたおかげで實川さんの山の友が下山しないで山小屋で待っててくれた。それがどの方も富士山のつわものー70歳くらいにしか見えない戸田巽さんは83歳、3時間10分で登頂するといい、今回も3泊し3日間毎日登頂するという人。名古屋均さんは昨日2往復し、今日も登頂して196回目という人。写真家の小曾戸恒夫さん、三鷹に自宅があるが、須走口付近にアパートを借りて富士山の写真を撮り続けているという人。この4人のつわものが一緒になることはなかなかないということで大いに話しに花が咲いていた。われわれまでうれしくなって記念写真をパチリ。
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 メンチカツ、エビフライ、鳥のから揚げの定食。2493mでの夕食はおいしかったこと。一昨日は50人、昨日は60人の宿泊でカレーだったそうだが、今日は月曜日で5人ということでメニューから好きなものを選べた。8時になっても下山者が続いている・・・「今朝6時に到着したら駐車場は満杯で3合目に駐車してきた」という人は寒くてしょうがないとうどんを食べていった。登山口から3合目までこれから歩くとしたら1時間以上はかかるだろうにー。 ラッキーだったわれわれは早々と2人分の布団に1人でもぐりこんだ。 
by yoko1939 | 2007-08-26 22:57 | 花・山だより | Comments(0)

摘み草のてんぷら


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1週間に1回の目標に入院中の母を訪ねる。寝たきりで会話にならないので今日は夏休み中の孫たちの写真をみせたら、スイカの灯篭にすごい反応を示し何かわからないが声を出していた。
 帰りにてんぐの里の産直へよって、隣の農村レストラン「味のこてんぐ」へよって摘み草のてんぷらと手打ちそばを食べた。今日の摘み草天ぷらは、アカザ、オカノリ、花オクラだった。地味な摘み草天ぷらに花オクラは華やかさがあってとても良かった。
 このレストランが始まる前に東部の生産組合の方々とご一緒に篠原準八先生から、摘み草料理の講習を受けたことがあり、群馬県の月夜の町では摘み草料理で町おこしをやっているのを勉強に行ったのは6.7年前のことだ。この勉強を実践したのが「こてんぐ」なのだ。勉強に行った方が中心となってがんばっている。でも・・・最初に食べに行ったときトイレの建物のほうが立派で驚いたものだった。
 篠原先生は東京にお住まいなのに摘み草に詳しい。早稲田大学を終えて新聞記者をしていたものを山野草研究家になった方で気さくで面白い人で、大いに意気投合し盛岡でも摘み草料理で町おこしできないかと思っていたが、なかなか難しいようで、それだけに「こてんぐ」ががんばってほしいと思っている。
 私も大いに影響を受けて数回摘み草の天ぷらもやってみたが、いま、葛の花が咲いているが花も天ぷらに出来るし、つるの先の天ぷらは絶品です。これからは度々できるかなー。
 明日から富士山登山に出かけてきます。
by yoko1939 | 2007-08-25 22:05 | 食と農 | Comments(0)


 
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 家の裏にある小さなミョウガの畑。昨年はミョウガ豊作で沢山食べたが、今年は待って待てってやっと今日見つけた。花は透き通るような黄色で綺麗だ。
 毎年夏ばて予防と称して、ミョウガ、キュウリ、オクラをみじん切りにしてゴマを混ぜてつゆの素で味付けしてご飯にかけて食べている。
 ミョウガの薬効は、熱を解く、おできにも炎症を抑え解毒する働きがある、血のめぐりを良くするので生理不順にも良い、不眠にも効果があり鎮静作用があるので心が落ち着きぐっすり眠れる・・・。(「食べものはくすり」より)
by yoko1939 | 2007-08-24 14:28 | 食と農 | Comments(0)

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新しい世界は、新しい発見が多い。お盆過ぎからの長雨で、人参を使いたいと思って雨のなか収穫に行ったら土が濡れていて抜けない!やっと1本抜いて晩の食卓に乗ったが、「雨の日は畑に入るものではない」ということを思い知らされた。
 久しぶりに晴れたので畑へ出かけ、人参を抜いたらスポンスポンと抜ける。ところがやたらと割れている。畑の先生に診てもらったら「雨が続いた後割れる。人参はお盆の前から収穫し過ぎたら収穫は終わらなければ・・・人参が年取ってでこぼこが出来るし硬くなる」というのです。その通り・・・でこぼこの人参で最初にとって食べた美味さがありません。野菜も人間も同じなのですね。
 大好きなオクラは種から植えたのですが、7月中伸びない!やっと8月さんさ踊りが終わってから畑に植えたのですが、気がついたらそのとたん実をつけ始めたのです。30本もの苗を作って楽しみにしていたのに、大きくなるはずのオクラが20センチ位で終わってしまうのかなー。
 憲法9条を守る運動の一助にしようと、9条ねぎを種から育てている。食べられるのは来春なそうだ。ペーパーポットなるものを買って植えたらなんとつまめないくらいの小さな種。これで芽が出るのかと思っていたら出た!絹糸みたいな苗で、間引きするにも天眼鏡がないと無理。買ってきた種の袋を見たらなんと「チリ産」なのだ。びっくりして畑の先生にご注進!「種は外国産が結構多い」というのです。何ー、地場産と信じて買っていたものがその元は外国産なのー?ショックです。
 来年からは9条ねぎの種は京都から取り寄せよう。種を買うときも国産を探そう。
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by yoko1939 | 2007-08-23 14:14 | 食と農 | Comments(0)

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千葉の孫たちは19日に帰り、うちの孫たちは20日から2学期が始まりうちの中
がやっと静かになった。静かな中元気に泳ぎ回っているのが水槽の中のメダカ
ちゃん。夏休みが始まったころじいちゃんが孫たちを連れて雫石川で捕ってき
たものだが、約1ヶ月になるが10匹ほど金魚の餌で生きながらえている。メダカ
を間近にこんなに長く見たことは無かったが、何となく少し成長したような気
がするが、大きくなるものだろうか。「めだかーのがっこうがー」と歌いたく
なるような可愛さがある。10匹だと小規模校でのんびりしてていいだろうなー


by yoko1939 | 2007-08-22 12:15 | 木木レポート | Comments(0)

陽子流おもてなし

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 人生の恩師とも言うべき今は仙台在住の伊藤博義さんが来盛。講演を終えた後当時を知る数人と待ち合わせ「陽子の世界へご案内します」と、鉈屋町へー。喫茶「ピッピ」で閉店時間間近でしたが、快く注文の抹茶を出していただき、しばしおしゃべりした後、お隣の「細重商店」へ。土間にはいつもの常連さんがいっぱいだが、割り込んで土間の上がりに座らせてもらう。ビールともっきりをいただいて、おつまみは店主のおばさんがつけた、たまな(キャベツ)ときゅうりの重石の効いた漬物。なんとおいしいことよーおかわりして食べた。 昔話の花が咲き伊藤さんの盛岡時代の話になった。伊藤さんは、裁判所に勤めた後結核になって治ってからまた、盛岡へ来て児童養護施設清雲荘へ勤務し、60年安保闘争後岩手県社会事業職員組合を結成の中心だった。当時岩手県社会福祉協議会に勤務していた私も、まだ福祉が確立されない時代「しいたげられている社会福祉の利用者を守るためにもそこで働く労働者の権利は確立されなければならない」との誰もが納得できる組合結成の趣旨に痛く感動したものだった。
 伊藤さんはその後、転々と職を変え、大学教授となって宮城教育大学学長まで務めた。その後山形大学教授を務めるなどいくつもの大学に勤務、現在は社会福祉法人なのはな会の理事長として福祉にかかわるなどいろんな分野で活躍している。
 たっぷりと話、どっぷりともっきりやさんの雰囲気にひたって細重さんをでた後、島村さんによって町家の常居を見せていただき、大慈清水で湧き水を飲んで、最後は「まねぎや」でラーメンを食べ、鉈屋町界隈を味わい満足してもらった。
 
by yoko1939 | 2007-08-21 12:03 | 木木レポート | Comments(0)