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絵馬師佐々木つとむさんの遺作展

盛岡の絵馬師として生涯をとじた佐々木つとむさんの遺作展が神子田町の嶋岡商店で6月1か月間開かれ、やっと足を運べた。
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鐙庵つと無こと佐々木勉さんの絵馬は、画家が描く絵馬とはまったく違う、農耕馬として稼ぐ馬を思わせるたくましい絵馬にほれ込んでいる人はいまだに多い。

鉈屋町で生まれ育ち、鉈屋町界隈の話をさせたら止まることを知らなかった。
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オーナーの嶋岡さんが佐々木つとむさんの才能にほれ込んでの遺作展だが、「毎年チャグチャグ馬っこの6月に開いていきたい」と語っていた。

嶋岡さん自身も「時源 澪(じげんれい)」の名で漫画家として活躍しており、七宝焼きもやる文化人だ。自身の作品展もこのギャラリーで行っている。
by yoko1939 | 2012-06-28 13:46 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

修学旅行③帰ってから勉強・・伊藤千代子の故郷

タクシーの中から「伊藤千代子の顕彰碑」という看板を見た。確か、大先輩で素晴らしい活動をしていたが治安維持法による弾圧で若くして命を奪われた女性だったはず-

帰ってネットで調べたら「千代子こころざしの会」のホームページで詳しく掲載されていた。1997年7月21日に顕彰碑を建立。7月21日は千代子の誕生日だという。2005年には生誕百周年記念事業を行っており、作家の澤地久枝さんが記念講演を行い、千人を超える参加者ですばらしいつどいになったという。

顕彰碑は立派なものだ。碑の建立場所は、長野県諏訪市湖南南真志 龍雲寺山霊園
JR上諏訪駅か、茅野駅からタクシー利用となる

伊藤千代子顕彰の碑文(千代子こころざしの会ホームページから引用)

 伊藤千代子は1905年(明治38)7月21日、ここ諏訪の南真志野の農家に生まれ幼くして母と死別、湖南小学校から中洲小学校へ転校し、祖父母の援助で諏訪高等女学校(現二葉高校)に学び、高島小学校の代用教員の後仙台尚絅女学校から東京女子大学へと進んだ。
 千代子は常に生活に苦しむ人々に心をよせ、世の中の矛盾と不公平さを許せず、学内で「資本論」を学ぶなど、社会科学研究会で中心的に活動した。郷里では初の普通選挙をたたかう革新候補の藤森成吉を支援、岡谷での歴史的大争議であった山一林組の製糸工女らを激励し、社会変革の道にすすんだ。
 1928年(昭和3)2月、千代子は日本共産党に入党。3月15日の治安維持法による野蛮な弾圧で逮捕、市ヶ谷刑務所に投獄される。千代子は獄中での狂暴な拷問や虐待にも屈せず、同志を励ましたたかい続けたが、ついに倒れ1929年9月24日、24歳の若さで短い生涯を閉じた。
 千代子の死後、女学校時代の恩師でアララギ派の歌人土屋文明は暴圧化のきびしい言論統制の中の1935年、教え子伊藤千代子の崇高な生涯を悼み歌に詠んだ。
 千代子のこころざしは今も多くの人々に受け継がれ、生きている。

日本共産党は7月15日党創立90周年を迎える。多くの諸先輩が命をかけて守られた歴史だ。たった24歳で命を奪われた伊藤千代子や多くの先輩たちに報いるためにも頑張らなきゃ・・・

旅は勉強だねー
by yoko1939 | 2012-06-25 23:58 | 温泉・旅 | Comments(0)

修学旅行②八ヶ岳倶楽部・小諸

旅館は食事よし、お風呂よしでみなさん満足の笑顔。

JR小海線で甲斐大泉駅まで行き、タクシーで第2の目的地八ヶ岳倶楽部へ。
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俳優の柳生博と家族がが山の雑木林を切り開き、木道を敷き、ありのままの自然を楽しむというもの。もっと広くてベンチでゆっくりスケッチでもできるのか?と思ってたのだが・・・・30分程度歩いたかな。ゆっくりしている時間もなく丁度良い癒しの時間だった。
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オリジナルのハーブティなど買い物に夢中になってたら柳生博が現れた。お客さんも多く、替わりばんこに一緒に写真を撮っていた。わたしも・・・・周りはカットしツーショットに仕上げた。貸切バスが2台も来ていた。
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ここにほれ込んで1989年に開業したという。レストランでは近郊でとれたソラマメ入りの「緑のクリームのパスタ」を食べ、八ヶ岳倶楽部オリジナルティーだという7種類の果物を入れて、インドのニギルという紅茶を入れて、温めながら飲む不思議なティーを飲んだ。

食事してたら柳生博が顔をだし、会話になり「盛岡にもいらしてください」と言ったら、「盛岡にはいってないが、被災地の沿岸には何回か支援に行ってきた」といってた。自然を愛しているから原発にも批判的な声を発することができるんだと思った。
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また、小海線で小諸へー。全く知らなかったが小海線は人気だという。団体バスの方々が乗り込んでは降りていく。山田線を走っているような感じなのだが、途中JRで最高の駅野辺山駅は1345㍍というからかなり高いところを走っているんだ。
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車窓から広大なレタス畑が見えた。
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小諸ではボランティアガイドさんに迎えられて懐古園を案内してもらった。
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苔むした石垣の上には天守閣があったという。
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懐古園の碑の字は勝海舟の字だという。
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島崎藤村の千曲川旅情のうたの詩碑も藤村自筆だという。

歴史の移り変わりを見るような小諸城跡だった。展望台からの千曲川風景をどんな思いで見つめてきたのだろう・・・
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旅の最後は国重要文化財の小諸城の正門大手門に圧倒されながら、草笛が上手で、案内も上手なボランティアガイドさんとお別れした。
by yoko1939 | 2012-06-25 23:26 | 温泉・旅 | Comments(0)

修学旅行①諏訪大社・上諏訪温泉

高校時代の同級生9人で修学旅行。今回は長野・諏訪大社ー上諏訪温泉ー山梨・八ヶ岳倶楽部ー長野・小諸を歩いた。大人の休日クラブの安い切符でお得な旅。

24日は諏訪大社へータクシー2台で諏訪大社本宮、春宮、秋宮とまわった。諏訪大社は御柱が有名。
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本宮の御柱は想像以上に大きいものだった。しかも1本だけでなく、あちこちにたっている。

御柱木落し坂に案内してもらった。御柱祭りは7年に1回申年と寅年に行われるという。モミの巨木を奥山から切り出し、諏訪大社に建てる。山から引き出す「山出し祭り」が4月、曳行し、建立する「里引き祭り」を5月に行うという。
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案内してくれた運転手さんが「御柱祭りの年は1年中忙しいから結婚式はできない」と言っていた。町中がお祭りになるんだー。

しかも曳行の途中にこの木落坂を引き落とすんだそうだが、テレビで見てるよりも急な坂だ。45度近いという。この坂を男たちが御柱にまたがって一気に引き落とされ、大半の若者がふり落とされてしまうという。勇壮、豪快な男の祭りだ。全国に散らばっている若者がこの祭りのために帰ってくるという。なんかよそ者でもドキドキしてくるすごいお祭りなんだ。
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面白かったのが「万治の石仏」なんとも言えないのどかな石仏だった。なぜか周りが小さな田んぼになっている。不思議な石仏・・・岡本太郎がこの石仏を見て「奈良の秘仏より 万治の石仏を見ていると 心が豊かになる」と言ったそうだ。運転手さんのガイドもなかなか面白かった。

今日の宿上諏訪温泉の創業100年の油屋旅館へ。運転手さんに「女工さんたちのために作ったお風呂だという。行ってみたほうがいいよ」と勧められた片倉館へ。国指定の重要文化財となっている、
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製糸業を営んでいた片倉兼太郎がヨーロッパや北米の視察旅行し、地域住民のための福祉施設が充実していることを学んで、この地に750坪もある1000人風呂をつくったという。残念!!外観を見ただけで入れなかった。食事したら疲れて寝てしまった。絶対いつかまた来て入るぞー。
by yoko1939 | 2012-06-24 20:49 | 温泉・旅 | Comments(0)

2年ぶりの「七つ森」

ウオーキングクラブの今月の例会は雫石町の「七つ森」。2年前結成式をした記念すべき山。よく整備されておりいくつものコースがあり、今回は七つ森小学校を回り込んだところからあるきはじめた。前回と別のコースで、全く別の山を歩いている気分。

宮沢賢治が愛した山だったそうだが・・・その時代はどんな風景を見ながら登ったのかなーなんて思いながら歩くと楽しい気分。

2年前は7月下旬だったから咲いている花がちょっと違った。

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ウコギはまだ実になっていなかった。
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キブシは見事に実がついていた。春は黄色の花だが、この実はこれからどんな色に変わるのかなー
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アザミはお見事。
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ニッコウキスゲのように見えるのだがカンゾウの一種だろうということになった。
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マムシ草は濃い紫色だったと思うのだが・・・?
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頭でわかってもやっぱりメモを取らないと忘れてしまうねー
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この実はみんなで食べた。山の恵みはおいしいし、元気をもらえる。
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フタリシズカもひっそりと咲いていた。

どこを歩いてもエゴノキが満開だったが写真はぼけていた。

頂上で皆さんからいろんなご馳走をいただき、お昼を食べて解散。

時間があるので雫石の知る人ぞ知るという蔵の喫茶店に立ち寄り、おいしいコーヒーとワッフルを食べて疲れはすっかり吹っ飛んだ。
by yoko1939 | 2012-06-21 19:37 | 花・山だより | Comments(0)

あこがれの安野光雅さんの「絵本展」見て・・・

絵本作家の安野光雅さんが大好きで我が家にも10冊位は手元にある。昨年12月に赤旗日曜版の人の欄に登場し大喜びした。絵本展を全国区各地巡回するというので期待していたが岩手には来ないというのであきらめていたら、深沢紅子野の花美術館忘れな草の会主催で秋田県立美術館で開催中の「安野光雅の絵本展」を見る初夏の旅ツアー募集の記事を見て飛びついた。
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絵本の多くは自然と人間模様しかも小人が沢山登場している。勝手に原画は大きいものと思い込んでいたら思いのほか小さくてびっくり・・・・人の動きを小さくてもイキイキと描かれている。

懐かしく、絵本の世界に引き込まれていつの間にか自分も絵本の中の1人になってしまって楽しんでいる。そんな絵が多い。やっぱり原画はすばらしかった。
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まだ出会っていなかった絵本「ついきのうのこと」續昔の子どもたち~を買って帰って、内容は子供の頃の世界が描かれているが表紙の絵が面白い!内容とアンバランスなのだが違和感がない。どうしてこうなったのか?とじーっと考えているうちに描いてみよう!と模写してみた。
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でもー回答は出ない。もう一度昨年の赤旗日曜版を読んでみた。その一節に「『絵を描くためには本を読め』と語るように自身も読書家です」「鴎外訳の『即興詩人』を無人島に持っていく一冊として大切にしています」というところにくぎ付けになった。そうかーもっと本を読まなきゃ・・・と納得した。
by yoko1939 | 2012-06-18 18:52 | 絵日記 | Comments(2)

盛岡市保存建造物の「徳清さん」ありがとう見学会

盛岡市保存建造物の「徳清」が道路拡幅で一部削り改築するという。これまでの姿で見られることができなくなるということで「ありがとう見学会」をやらせていただいた。

1879年,お城の建物の払い下げがあり,防火対策として土蔵をつくり、米蔵とのほか母屋も土蔵で文庫蔵など3棟附属している。
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数年前お雛様を飾っていただいたお座敷の壁が、昨年の大震災の際崩れて修理していたが古民家の維持の大変さを垣間見た。

今回は、これまで非公開部分も見せていただいたが、女中部屋だったというお部屋や、

今はほとんど使われていない出入り口や
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この中庭もなくなってしまうという。剣道側からの今まで見慣れてきた景観が失われてしまうのか・・・とちょっぴりさびしい思いがした。
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接客用広間と家具,什器,食料,格納になっている土蔵との中間に台所が配され廊下で土蔵と連絡してある各室の間,仕切壁は,屋根面まで立ちあげ,防火区画化されているのと中庭を3カ所も作って防火に注意されているという。これだけ防火を考慮した建物だからこそ残っていたのだと思う。
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一部3階(8畳)をとり岩手山や北上川を一望に見られるようにされているのは珍しいという。佐藤さんのお話によれば8月の舟っこ流しにはお客さんを呼んでここから眺めたという。天井が杉の木の根っこに近い部分が使われていると建築士さんが教えてくれたが幾何学模様で面白い。
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この広い土間は運び込まれた米を計った場所だったというが、佐藤さんのご了解を得てミニミニコンサートを行った。佐藤洸さんのアコーデオン指導で参加者がコーラスを。良かった!良かった!・・・とてもいい歌声だった。とても良い響きだった。

米蔵の前にあるこの土間が大好きで、ここで音を聞いたらどんなに素敵だろう・・とかねがね思っていた。失われてしまうと最後になるだろうとお願いした。どうやら早合点だったようだ。ここは残ると聞いて安心。でも・・・姿が変わってしまうかもしれない。

口伝いに広がって20人の予定が40人の参加だった。皆さんに喜んでいただき「家主の佐藤さんに感謝、素敵な建物に感謝」の日だった。
by yoko1939 | 2012-06-16 23:03 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

三閉一揆の頭人多助と河権旅館

3月23日に盛岡ウオーキングクラブの「盛岡歴史散歩」に参加した時スケッチしていたものをやっと色づけし完成させた。
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現在本町1丁目の平野商店で雑貨屋さん外からの眺めも良いがお店の中も懐かしい建物に懐かしい珍しいものが沢山並んでいる。

かって沿岸の人たちの定宿の「河権旅館」だったというが、旅館の面影がのこっている。この旅館が歴史に残る旅館と言われる所以は、三閉伊一揆の頭人畠山多助が、明治6年、地租改正反対一揆の嫌疑をかけられ捕えられ、河権旅館に宿預けとなり、厩で抗議の自決をしたのだ。平野家では「佐倉宋五郎のような立派な人だ」と葬った。
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本誓寺の平野家の墓地の一角に畠山多助の墓があり、その横には碑が建てられている。多助が一揆の結束を固めるために演説した一節がしたためられている「衆民のために死ぬる事は元より覚悟の事なれば今更命惜しみ申すべきや」とーわらび座座長の原太郎氏の書だという。

弘化4年と嘉永6年の2度にわたり、三陸沿岸を中心にたたかわれた壮大な百姓一揆は「黒船以上に大きな事件だった」と大佛次郎も評しているが、嘉永の一揆の惣頭人が田野畑村の36歳の多助だった。「小○の旗」を掲げた一揆の一行は1万5千人に膨れ、45人の代表を選び仙台藩に「藩主の交替と御用金・重税は迷惑と訴えた。

一行は要求をほぼ実現し、処罰しないと約束させて、お墨付きまで勝ちっとっている。このお墨付きは多助の子孫が保管し、発見されたのは一揆から100年後の1953年だった。

多助の命日5月27日には、墓前祭と語る会が行われているという。

以上は「歴史散歩」の時の講師、牛山靖夫さんの説明によるもの。

そういえば・・・平野商店の屋根の上にかすかに読み取れる「河権旅館」という看板があった記憶がある。そんな昔の話ではない。
by yoko1939 | 2012-06-14 22:34 | 絵日記 | Comments(0)

實川欣伸さんから便り・・・富士山1234回

富士山登頂日本一の實川欣伸さんから久しぶりにうれしいお便りが届いた。
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6月7日「富士山1234回登頂」したという。實川さんらしく1・2・3・4を一つの節目にしたらしい。いつも人が思いつかないことをやっているが次はどんな節目か?と楽しくなる。

お便りによれば、今年は雪が多く特に9合5勺から上の積雪がかなりだというが、すでに23回ものぼったという。どんな積雪か想像もできないが・・・・

今年の目標は、ガイドや取材で忙しく300回を目指したいのだが250回だという。去年は200回だったのに・・・年を取るほど目標が高くなるなんてすごい人だ。富士山の魅力に取りつかれたすばらしい人だ。

實川さんのパワーをもらって、もう1回富士山に登りたいなー
by yoko1939 | 2012-06-13 10:43 | 花・山だより | Comments(2)

免許更新と江戸時代の洋学校「日新堂」遺跡

もうすぐ誕生日。5年ぶりの運転免許更新だ。今回初めての連絡で、70歳以上の人は高齢者講習会を受けなければならない。講習会実施の自動車学校一覧を見て「岩手自動車学校」に電話。受付の女性が「お近くにも学校がありますけど良いですか?」と親切だった。

なぜ選んだか?それは江戸時代に時代を切り開く洋学校がこの自動車学校付近にあることは聞いていたがなかなか行く機会がなかった。チャンス!なのだ。

1時間は講義、2時間目が検査、3時間目が実技だった。運転適性結果は「同年代との比較」で「ややすぐれている」だった。ヤッホーいいぞーと思ったら・・・目がまるで駄目!夜間視力が「劣ってる」、眩光下視力と動体視力はやや劣っているだった。やっぱり・・・年相応なんだー。注意して運転しなきゃーと再認識。そういう意味では高齢者講習会も良しということだと変に納得だった。
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とにかく3時間の緊張から解放されて、事務所の方から聞いて「日新堂」跡地を見に行った。岩手県医師会が建立した碑がたっていた。住所は盛岡市高崩、たしか20軒くらいの戸数だったと記憶しているが・・・市がよくこの町名を残したものだといつも感心していた。
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国道4号線を南下してきて南大橋の手前の岩手自動車学校の入り口にある。ちょっと可愛そうなところに建っており先人に申し訳ない気がした。

碑の貴重なことは「日新堂」についてわかりやすく解説していることだった。

         日新堂遺跡

 ここ新山館の地は、藩政時代に洋学校日新堂が創設された洋学校発祥の地である。
 文久元年盛岡藩の洋学研究の同志は盟約を結び、洋学を開いて、物理・化学・医学・物産学等を講習し、大いに国産開発の事業を興そうと計り、学館創立を藩に請願した。藩主南部利剛は、新山館に敷地1万坪を貸与してその計画を援助して、文久3年5月学館が竣工して日新堂と号した。
 日新堂は、大島高任、八角宗律を総督とし、洋学読法より始めて洋学諸学術を伝習し、薬用植物の栽培・種痘の施行・鉱石の分析・製錬工作等の事業を開き、西洋医学と科学技術の開発に画期的な業績を挙げた。
 しかるに惜しいかな戊辰の戦乱に際し、兵器製造所にみなされ、明治維新に至り遂に廃絶に帰した。

                     昭和60年6月30日
                         岩手県医師会


世の中、いつの時代も新しい時代を切り開こうとするものに圧力がかかるものらしい。日新堂は、たった5年間存在しただけだが、この学校から世の中にすばらしい人材を輩出しているというが、学校の資料はほとんど残っていないという。圧力を恐れて処分されたのだろうか?・・・

免許更新のおかげで良い経験をさせてもらった。今日無事に新しい免許証になった。5年前と比べてスムースで20分しかかからなかった。
by yoko1939 | 2012-06-12 12:44 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)


盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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