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「江戸期の今泉部落と吉田家住宅」講演聞いて思い出した・・・

岩手県立博物館日曜講座「江戸期の今泉部落と吉田家住宅」と題した講演があり、東北工業大学教授の高橋恒夫先生のお話を興奮しながら聞いてきた。

驚いたのは今泉部落の歴史だ。「仙台藩気仙郡の部落の住宅は、世界遺産の候補になっても良いくらい遺産が多い。北方社会の中心が陸前高田だ」という。しかも2年後には1300年になるという。なんと~奈良と同じくらいの歴史があったんだ~。この話を聞いただけでもこのまちを飲み込んだ津波が憎い!

住宅の特徴は、1軒につき3棟の付属家があり、必ず奥に抜ける屋根のかかった路地があり、2階家では2階に旅人を泊めたという。

陸前高田の市のHPにまだ写真が残っていた!
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街道沿いの御免町は文字の通り税を免除されていた町で、醤油や酒などの醸造などが盛んで間口が広い町屋が多かったと言われています。町並みでも随所にその名残が見受けられものだったようだ。
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特に「八木澤商店」は平入りの店蔵と妻入りの土蔵が街道沿いに軒を連ねその真ん中に門を設えるといった豪商の構えを見せていた。見たかった!!
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町のほぼ中央に位置した大肝入吉田家があった。気仙大工が棟梁だったという吉田家住宅は当時の姿を留めていて茅葺きの大屋根が当時の雰囲気を伝えていたという。岩手県の指定文化財となっている。

震災後、吉田家を復元しようという動きが出てボランティアさんたちが流された木材を集め80%くらいは集まっているそうだ、
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江戸時代の絵図をもとに高橋先生の研究室がまちなみの模型を製作したものも流され、昨年復元したものが県立博物館に展示されていた。

吉田家の当主も一家でさんかしており、奥さんが「危ないから逃げろ!」と言われ着の身着のまま逃げたら、後ろのほうでバリバリと家の壊れる音がして「あー戻れないな」と思った。伊達正宗直筆の書付が流されたのが悔しい!と話された。
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講演を聞いて本当に悔しくなった。思い出した!!10年前2003年8月7日に後援会のバスハイクでケンカ七夕を見に行った。日中だったので海岸近くでのケンカ七夕を見てきた。
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地元の方からケンカ七夕の由来など聞かせてもらい。「夜のケンカ七夕は迫力あって良いぞー」いつか必ず行こうといってたのに・・・これが今泉のまち中で繰り広げられていたものだった。残念!
by yoko1939 | 2013-02-24 22:26 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

吉田松陰が盛岡に来た・・・勉強になった!

2月10日(日)盛岡劇場で開かれた「盛岡に足跡を残した著名人」と題する、聞き語り もりおか歴史散歩に行った。

「吉田松陰が盛岡に来て穀町の宿屋に泊った」という話を聞き、どうして盛岡に来たのだろう?と何十年も疑問を抱いたままだった。

その疑問が解けるという期待を持って参加してみたら、なんと江戸時代栗山大膳、菅江真澄から昭和初期の芥川龍之介、ヘレンケラーまで20人を超える人の盛岡におけるエピソードが話された。

興味を持っていた吉田松陰は熱心に聞いてきた。

江戸の塾で一緒だった那珂梧楼が投獄死したが兄江幡春庵の仇を打つというので、吉田松陰は友人の肥後熊本の宮部鼎蔵とともに仇討の手伝いをすると来たが、仇討の相手は亡くなっていたため仇討にはならなかったが、盛岡には嘉永5年(1852年)3月11~12日滞在したという。

東北を旅した日記を「東北遊日記」を書いており、盛岡では、長田町のお寺の塀に漢詩をを書いたり、津志田の遊郭を見て「南部藩はこれで良いのか」と嘆いたりした。というー。

さてー那珂梧楼?宮部鼎蔵?知らない!
どうやら旅日記が残されているようだ。

ネットで探ってみたらあった!あった!!

 「東北遊日記」には「十一日 晴。未後雨あり。村を發す。渋民を經て盛岡に至り、中津川の橋を渡りて、村井京助を訪ふ。石町に至りて宿す。行程三里。是れ南部美濃守二十萬石の都なり」と書いてあるらしい。
やっぱり穀町に泊ったんだ・・・村井京助?と調べたら呉服商「鍵屋」という豪商だった。尊王の志が篤く,江幡春庵,目時隆之進,吉田松陰らと交友しており、後に4代目村井茂兵衛となった。

那珂梧楼は、
漢学者。18歳の時,藩主利済(としただ)の近習に挙げられるが,脱藩し、江戸,京都,安芸などを遊学,多くの士と交友を結び、その中に吉田松陰がいた。
1849年(嘉永2年),梧楼の兄春庵(しゅんあん)が利済(としただ)の側近田鎖左膳に捉えられ獄死する。これを聞いた梧楼は仇討を画策,吉田松陰,宮部鼎蔵(ていぞう)とともに奥州に下るが先に利済(としただ)派が失脚,ついに本懐を遂げることができなかった。
後日、盛岡藩が藩校明義堂教授として迎えた。1865年(慶応元年)には藩校の名称を作人館と改めるとともに,梧楼の唱える「和漢一致」が学風として取られ,名実ともに盛岡藩校の中心となった。
盛岡の先人として先人記念館に顕彰されているという。知らなかった・・・

宮部鼎蔵
吉尊皇攘夷派の活動家である。吉田松陰が20歳の時、九州遊学中に10歳年上の宮部鼎蔵と会い盟友となり、東北遊学を共にする。
元治元年(1864年)6月5日 池田屋で会合中に新選組に襲撃され、奮戦するが自刃する(池田屋事件)。享年45。明治24年(1891年)に従四位を贈られている

吉田松陰は萩市と世田谷に松陰神社がありすごい人だとは思っていたが・・・29歳で処刑されている。時代を切り開いた一人であることは間違いない。

インターネットはお利口さん!とにかく勉強になった。
by yoko1939 | 2013-02-18 17:27 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

寒い冬に、ローラの「長い冬」

1月に見に行ったパネル展「ローラ物語の世界」に影響され、娘たちに買った古い本を引っ張り出し、ローラの「大きな森と小さな家」を読んでいるうちに、佐藤吉彦少年が読んで感動しローラに手紙を書いたという「長い冬」を読みたくなった。
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仙北活動センターの図書室へお願いし市立図書館から取り寄せてもらって借りた。

例年より早く来た冬、しかも来る日も来る日も厳しい強い吹雪続き、何度も蓄えていた食料がなくなり飢え死にしそうになりながら家族、町の人たちが力を寄せて乗り越えて春を迎えるという、一見何でもない日常生活を描いている物語が、世界の子どもたちをひきつけた。寒い冬にぴったりな物語だった。
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訳者の谷口由美子さんのあとがきを読んで合点がいった。

「ローラの言葉には音楽がある」、それが「長い冬」ほど強く感じたという。ローラの音楽は色彩が豊かであり、匂いや香りもふんだんにおりこまれており、白一色のいかにも単調に見える世界が、これほどまでに印象的、かつ絵画的に描かれ、読者を感動させる力をもっていることを考えると、この作品こそローラの傑作であると書いている。
「音楽のある言葉」・・・・憧れるナー

ローラは少女時代の開拓生活を残さなければ・・・と65歳から10巻の小説を書きあげ、90歳で幸せな生涯を閉じたという。
by yoko1939 | 2013-02-14 16:51 | くらしの楽しみ | Comments(0)

風邪予防のためがんばれ!どんぐりちゃん

「もうすぐ春が来る・・・」と思えるようになったせいか、やっと雪穴から抜け出したような気分になり、身体も少し軽くなってきた。

やらなきゃいけないことを棚上げにして、何年ぶりになるんだろうか?どんぐりの人形作りに挑戦。

昼食前には完成!名付けて「風邪予防どんぐりちゃん」
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クヌギのどんぐりに、頭はどんぐりのヘタと野ブドウのつる、手は小枝、マスクとタオルはレモンバームの葉、目はケンポナシの種。台は桜の木でみんな自然のものを使った。

看護婦している娘の職場に持って行ってもらうことにした。なにせインフルエンザが猛威を振るっている。風邪予防のためにがんばってね・・・・と送り出そう。
by yoko1939 | 2013-02-11 23:34 | てづくり工房 | Comments(0)

トップをきった雛祭りーもりおか歴史文化館の人形展

盛岡の雛祭りのトップを切ったのが、もりおか歴史文化館の「館蔵人形展」~季節を彩る人形たち~が3月10日まで開かれている。
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日曜日とあって多くの人たちが足を運びボランティアの説明を聞いていた。
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盛岡の豪商「糸冶」さんの雛人形が飾られていた。説明が丁寧でわかりやすい。上段向かって右から白内裏、白后、黒内裏、黒后、青内裏、青后。
二段目が平安時代の歌人で、玉津嶋明神、文屋康秀、僧正遍照、大友黒主、喜撰法師、在原業平、小野小町。

3段目が両端が歌人の右が山部赤人、左が柿本人麻呂(写真は切れてしまった)。その隣にそれぞれ左大臣、右大臣。この4人に囲まれて五楽人が右から鞨鼓、笙、火焔太鼓、篳篥、横笛だそうだ。

内裏雛の並べ方は、古来より左が(向かって右)が上位とされており、男雛も左だったが、明治時代になり西洋文化の影響で大正天皇が即位の礼のとき西洋式で、天皇が右(向かって左)皇后が左(向かって右)にならい雛業界が変えてしまった。京都など関西では伝統を重んじ古式のままの飾り方をしているといいます。
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新穀町にあった糸冶
糸冶は天明2年(1782)盛岡に創業。呉服屋古着を中心に扱った呉服商として城下で屈指の豪商だった。新穀町から中央公民館敷地に移築され、国指定の重要文化財となっている。

新穀町で生まれ育った者から言わせていただけば、今も現存する県文化財指定の木津屋さんの向かいにあった糸冶さんがそのままあの場所にあったらよかったのに・・・と残念でしょうがない。
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裏紋は蔦・・・商売繁盛、子孫繁栄の願い
説明ボランティアの方が熱心にいろんなことを教えていただいた。これが糸冶さんの家紋で。裏家紋が蔦なそうだ商売繁盛を願ってのこと。徳川家の裏紋も蔦で子孫繁栄を願ってのことだという。


もう一つ糸冶さんの話で興味深かったのは、火災で焼けた後の再建した建物の店先に、焼け焦げた柱を使っているという。火の用心の意味が込められているという。建物は見たことがあるがそこまで見なかった・・・
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幕府が享保雛人形の高級化をいさめる方針を示す
享保雛は50センチ近くもある大きなものだ。享保(1716~1736)の時代に「享保雛」が流行し、どんどん大型になり幕府は享保6年に(1721)に「8寸(約24センチ)以上のものの製作を禁ずる」と取締令を発したという。
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雛屏風は「農耕図」
雛屏風は花とか松に鶴などの屏風が多いように思っていたが、田植えと刈り入れの屏風にひきつけられた。絵師は海野楳岳とあった。どんな背景があるのかナー
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もう一つ興味を注がれたのは、「十軒店の雛市」(天保年間に発行された雑誌の挿絵)
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と明治中期に発行された「雛拝見」(千代田の大奥より)の錦絵。

どちらも当時の生活様式がわかる面白いものだった。

今回の人形展は説明文とボランティアさんの丁寧な説明でとても勉強になった楽しい時間だった。
by yoko1939 | 2013-02-10 13:48 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

面白かった!「ヨメより先に牛(ベコ)がきた」著者 役重真紀子さんの講演

役重真紀子さんの講演に魅力を感じ、盛岡市女性活動研修会に参加した。
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東大法学部卒業し農林省に就職したが、毎日事務に追われる生活に疑問をもち願い出て1か月東和町に農家研修した。研修中に牛を買い、人に魅せられ移住を決意。2年間東和町に出向後、退職し役場に正式採用された。牛を預かった人と結婚し、農家の本家の長男のヨメにになった。


大変だったのが・・・プライバシーと言葉だった。
スーパーで買い物すれば、次の日の朝出勤すると役場中に何を買ったかが知れ渡っており、プライバシーは死語だった。
言葉が全く通じなかった。「検査行ってくる」ということは「県サ行ってくる」ということ。「べごの粕漬け」が「べごの貸付」だった。

夏の草刈り、冬の雪かき、火事、葬式を通じて、お互いにうちの中までわかるつながりを持っていることが、いざ病気をしたとき、近所の方に「着替え持ってきて!」といえば説明しなくとも家まで行って必要なものを持ってきてくれる。都会ではまったくなくなっている人のつながりがある。

ところがこれが平成の合併後変化してきている。役場時代は顔も気心もわかって仕事ができたが花巻市になってからは全く違ってしまった。合併は失敗だった。当時の総務大臣の増田さんも言っている。行政は住民の暮らしをつかんでいることが基本だ。

顔が見える役場が消えて、人と人のつながりまで希薄にしてしまっているんだということがとっても解りやすかった。

ふろくの話が面白かった。
ジョングレイが書いているが、男性脳は問題を解決するのが大好き。女性脳は問題を話すことが大好きで、女と男は永遠にすれ違うものだという。安心したナー
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パネルデイスカッションは、役重さんが助言者、中村恭香さんのコーデイネーターで、
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リンゴ畑の中のカフェ「ミカフェ」のオーナー松本直子さん風船屋さんを起業した大沼利子さん、盛岡市PTA連合会副会長の田口昭隆さんのパネラーで「女性の視点・女性の力を活かす」のテーマでパネルデイスカッションが行われた。

町内会の婦人部が次々と消えていく現状、役員のなり手がないという地域力低下はみんな苦労している。この現状の突破口を見つけ出したいものだがー。
by yoko1939 | 2013-02-05 15:46 | 木木レポート | Comments(0)

癒しのハーブ、ローズマリーの花が咲いた!!

一昨日、寒さが和らいだので長靴はいてチラシまきで、転ばぬようにと緊張して歩いたせいか昨日は頭痛が激しかった。今朝は何とか治まって自治会の資源回収に参加。昨日の雨で道路はつるつるでぐしゃぐしゃのなか、役員や子ども会の役員ががんばってくれた。
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今日は大事をとってゆっくりの日。今年で3年目のローズマリーがブルーの可愛い花を咲かせてくれた。去年は挿し木をして2鉢増やして1鉢は友人あげたが1鉢増えて狭い家では日当たりの場所もなく大変だが、毎年元気に育ってくれている。

ローズマリーの効能はすごい!!良い香りは疲れを癒してくれる。寝る前に「おやすみ・・・」となでる・・・
紅茶に入れて飲むと元気がもらえる・・・そして愛用の自分で作ったドクダミ化粧水に入れるととても良い香りと殺菌作用があるという。お料理でも多用されているようだが、料理下手には活用できないでいるのだが・・・

ローズマリーで癒しの日。
by yoko1939 | 2013-02-03 16:28 | 花・山だより | Comments(0)


盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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