大好きな003.gif西武の菊池雄星投手が今日付けのしんぶん赤旗日曜版「ひと」欄に登場した。
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岩手県盛岡市出身。見前中学校から花巻東高で2009年春に準優勝。夏はベスト4と高校野球で大活躍した。

西武に入ってから怪我続きでなかなか芽が出なかったが、昨年順調に9勝挙げながらまた怪我・・・ファンにとっても残念だったが本人が一番つらかっただろうな…

きっと努力しているんだろうに・・・立ち上がりが弱いなーそれが克服できたらきっとすばらしい選手になれると思って応援しているのだがーー

岩手人の特性は「ねばり」、雄星!ねばれ!!!がんばれ!!!!!
by yoko1939 | 2014-03-30 21:36 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

山の友 實川欣伸さんがエベレスト登頂するという。世界7大陸の最高峰最後の制覇に挑戦だ。

静岡県沼津市で「富士山から・2014年・世界最高峰へ エベレスト挑戦・實川欣伸・激励会」が行われ、盛岡から駆け付けた。
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30日には成田を出発するというのに28日の今日が激励会というのだからすごい!
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エベレスト日本人初の登頂を植村さんと一緒に果たしたすごい人松浦輝夫さんも出席し、初登頂の話をされ「私は1回も富士山に登ったことがありませんがエベレスト登頂で来た。富士山1600回の實川さんなら必ずやり遂げる!」と挨拶していた。

實川さんは、富士山登頂は昨年末で1619回。
エベレストには計画では5月2日に1回目の登頂を果たし、休息を挟んで12日に2回目の登頂を目指すという。2回目には状況を見て無酸素登頂を試みるという。

同級生の方は「無酸素でなくて良い、2回でなくても良い。無事に戻ってこい!」と激励していたが、みんなおんなじ思いだ。でもーきっと計画したことはやり遂げるだろうなー
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盛岡の實川欣伸ファンクラブを代表して参加した特権・・・・パチリ・・・

帰ってきたら盛岡でも報告会をやる計画だ。行ってらっしゃ~い。エベレスト頂上でのポーズ写真まってるよ~
by yoko1939 | 2014-03-28 22:33 | 花・山だより | Comments(0)

仙台に住む夫の同級生からうれしいお便りが届いた。

22日のしんぶん赤旗に鶴彬を顕彰する春のつどいが開かれ、私が「何も知らない13歳の少女が治安維持法で逮捕され拷問受けた。危険な動きをストップさせましょう」との訴えた記事が掲載されそれを見て激励の手紙だった。

戦争する国にまい進する政治をストップさせるためにも、歴史を正しく学ばなければと思うこのごろだが、治安維持法で犠牲になった人々に国家で賠償すべきと頑張っている団体ー治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の機関紙「不屈」岩手版の3月号に掲載された、13歳の少女の話を再掲させてもらう。

与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を読んでー
`茶わんいじほう‘で拷問された13歳の少女ー
                     主婦   石塚シズカ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「証言 特高警察」新日本新書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私はなにもしていません。本当に何もしとらん。なのに特高は私に「非国民」「国賊」「治安維持法違反」「アカ」「うじ虫」・・・と数えきれないほどのレッテルをはった。

当時13歳だった私に、いったい何をやれるというのか。私はものを考える能力もなく、腹を減らして、腹いっぱい食べた夢を見るだけの女の子だった。

「詩の一行の赤線が・・・」
昭和18年、製紙工場で働いていた私はたまたま数冊の本を買った。その中に与謝野晶子の「みだれ髪」(歌集)があった。これを寄宿舎の私物検査で特高に知られるところとなった。私はその本の中にあった晶子の詩「君死にたまふことなかれ」の一節に赤線を引いていた。

「君死にたまふことなかれ
すめらみことは、戦いに
おほみづからはい出ませぬ
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されん」

これが彼らの目には許されないものであったろう。

しかし私は、それが「ホッキン(発禁)」の本だとは知らなかったのである。捕まったときは「ホッキン」とはどんな字を書くのか、それさえも何も知らなかった。つまり、なあにも知らない女の子の見本だった。
「オイ ネエチャン。この本は誰にたのまれたのか。相手の名前をいえばすぐに帰してやる」と特高はいった。

「まだ生きているの声」
「自分のお金で買いました。誰にもたのまれません」と答えた瞬間、私の体は何メートルも先に吹っ飛んでいた。それから先はなぐるのけるのといったもんじゃない。生と死のギリギリいっぱいまでやられた。遠くのほうで「死んじゃおらんぞ。まだ生きとる。いまのうちに寄宿舎に引き取らせろ」という声が聞こえた。

1か月後、身体が動けるようになったら今度は憲兵隊へ呼ばれた。同じような責めを受けた。私の体は古ぞうきんのようになった。四つんばいの状態で帰された。

わずかの楽しみで読んだ本が反戦詩だったというだけで特高は私を引きすえて、半殺しにして、おまけに母も見張った。

何がなんだかわからんうちに、私は「チアンイジホウ」とかいうものにやられ、母は「コクゾク」を生んだ「ゲトウ」だといわれてどうしようにもなかった。

とにかくひどかった。霜の降るさむさのなかで特高に半殺しにされて、体が動けるようになったらレンゲ草が咲いていた。

終戦の日、喜びのあまり小川に飛び込んでころげまわったが、その時私の体には何条も何条もサビ色の筋が残っていた。どんなにひどい拷問だったかわかるでしょう。13歳の子どもが「チアンイジホウ」とかでやられ、それから2年半を経た15歳の夏にも、まだ体にサビ色の筋が残っていた。

そしていまでも私の右の小指は、ひょういと離れている。無理にくっつけるとブルブルと指全体が震える。

20歳でやっと初潮
渡しに初めて生理があったのは20歳の12月だった。こんなに発育が遅かったのは食糧難とあの特高の拷問のせいだろうと今でも思っている。

「チアンイジホウ」の言葉も文字も知らぬ私は、あろうことか「茶わんいじほうて何のこと」と泣いて寮長に聞いた。その言葉が幼くて哀れだと寮長も泣いた。
「天皇が1人えらくて、あとの国民はなんで民草という草にされるんやろう」と後日、寮長に聞いたら「何もいうな、人前でもいうな。黙っといてくれ。おれはお前を守ってやる術がない」といわれた。

あれから37年たって私はいま50歳、しかし、この年で考えても「なぜ捕まったのか」まだ意味がわからん。

2年前に死んだ私の母は「お前のおかげでひでえめにあった」と最後にいって死んだ。

 (山田善次郎著 「日本現代史のなかの救援活動」学習の友社より引用)

戦争反対といえば捕まって拷問され命を奪われた人もいる悪法「治安維持法」・・・何も知らない少女まで犠牲になっていた・・・・衝撃だった。こんなこと二度と繰り返してはならないのです。

いままた秘密保護法という憲法にも反する、危険な法律を数の力で決めた「戦争する国」づくりの政治にストップかけなきゃー
by yoko1939 | 2014-03-24 16:55 | 木木レポート | Comments(1)

「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の川柳で有名な反戦川柳家の墓前(盛岡市光照寺)で春のつどいが開かれた。
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3月15日は、戦時中、治安維持法によって全国一斉検挙が行われ、戦争反対の人々が大弾圧され多くの犠牲者が出た忘れてはならない日です。

この日を、治安維持法の犠牲になった鶴彬の墓前に「戦争は繰り返してはならない」の誓いを新たにする「春のつどい」として毎年墓前祭を行ってきました。

参加者は、「戦争する国」にひた走る自民党安倍暴走政治にストップかける力を大きくしようと誓い合いました。
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参加された遺族から、鶴彬の故郷石川県に住む鶴彬の姪の方が作ったというテッシュポーチが参加者に渡されました。それぞれに違う川柳が印刷されていました。
私がいただいたものには「枯草よ 団結をして 春を待つ」でした。 心が温かくそして力強い!良いですねー
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すぐ近くの正伝寺には、明治の三陸津波の犠牲者の碑がある。東日本大震災3年目・・・多くの犠牲者を思い、いまだに仮設住宅で苦難を強いられている方々を思い手を合わせてきた。
by yoko1939 | 2014-03-15 15:57 | 木木レポート | Comments(0)

あれから3年目・・・テレビや新聞では1日中特集が組まれ、あの時のようにテレビから離れられず涙が出てくる。被災者のみなさんはどんな思いで3年を過ごしてきたのか・・・そして今日を迎えたのか・・・

福島県では震災犠牲者を上回る関連死が出ているという。岩手県でも500人近くの関連死が出ている。せっかく助かった命が奪われているんだ・・・胸が痛む。被災地に心を寄せて、出来ることをやらなきゃ・・・
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朝、明治橋際で鈴木努市議と後援会のみなさんが「早期復興のため住宅と生業角を!」と訴えた。鈴木市議がこの場所で朝宣伝を始めて今日で350回目を迎えた。
by yoko1939 | 2014-03-11 21:48 | 木木レポート | Comments(0)

もうすぐ東日本大震災から3年目・・・
先日神戸の震災復興にかかわってきた方のお話を聞く機会があった。「振り返って3年目が一番つらい時期です」ということが胸に突き刺さり「3年目にどんな支援ができるのかな?~」と思って参加した。
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大槌のまちはがれき処理は終わったもののな~んにも無い町だった。前町長をはじめ多くの犠牲者を出した旧大槌役場を訪れた。祭壇がおかれ、きれいなお花が飾ってあり、犠牲者の冥福を祈り手を合わせた。碇川町長さんはこの建物の一部保存をするといってた。
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つどいは高台にあり津波の難を逃れた大槌町中央公民館で行われた。被災地を一望できる・・・ここで津波を見た人は・・・と思うと胸が熱くなる。
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オープニングは大槌高校吹奏楽部の演奏。全国からの支援うけながら震災後の演奏会は今日で30回目だという。アンコールにこたえて「ひょっこりひょうたん島」の演奏に会場は大きく盛り上がり、高校生に元気をもらった。
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「今日の岩手日報の沿岸12市町村のアンケートでただ一人~復興庁の対応に対して不満と回答した町長です」と口火をきった「3・11から3年、本格的復興の年に」と題して碇川豊町長の講演は、真の住民自治を貫き集落ごとの復興計画を作った。
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町民は「最後は自分の家で送りたい」と思っているが土地の確保が困難。地権者を探して全国回っているが限界だ。先に土地を確保できるよう法改正を求めている。結婚して子どもを産み育てられるまち、木の香りのするまち、音楽のまちにしたいと復興まちづくりを力強く訴えていた。
頑張れー!!!・・・
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「リレートーク」では、まさない仮設団地自治会長の三浦勝男さんは「被災当時心ひとつに苦難を乗り越えてきたが、3年近くたって仮設住宅も微妙な空気が漂ってきた。復興住宅に当選した人、再建した人は周りに気を遣いこっそり引っ越ししていく。今は震災関連の仕事で働いているが本来の農林漁業では生活が成り立たない。仮設の大槌病院、大槌小学校、中学校校舎の再建を早くしてほしい」

大槌高校吹奏楽部の佐々木ひろ子さんは「全国からの支援を受け吹奏楽部は支援を受けた神戸や大阪など全国の方々とも交流し演奏活動している。昨年の県大会では金賞を受賞した」

NPOすわこ文化村ホット映画会現地事務局の深澤寿人さんは「釜石と大槌の仮設住宅で主に寅さんの『男はつらいよ』の上映をし、226回のべ2614人が観賞した。終わった後『久しぶりに腹の底から笑った』など喜んでもらっている。仮設での暮らしに不安を訴える人は年々増えており、憩の場所が求められている。その手助けになればと続けている」

3人の訴えは心打たれるものでした。参加者は被災者をはじめ県内から230人が参加したという。
まず現地に出向いて現地の人の話を聞くことの大切さを学んだつどいだった。
by yoko1939 | 2014-03-02 14:33 | 木木レポート | Comments(0)