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歴史てくてく⑪庶民の願い込められた「絵馬」

何事もウマく行く年でありますように」と迎えた午年も、あっという間に二カ月も過ぎた。午年と言えば絵馬を思いだす。
 二度目の選挙に失敗し、三回目の選挙に再選を期して頑張っている時、大慈寺小学校の先輩の絵馬師故佐々木勉さんから必勝を祈る大きい絵馬が届いた。告示の日一頭に目を入れ、無事当選を果たしもう一頭の目を入れることができた。私の大事な宝物だ。(写真)
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 絵馬の歴史は古く、古代人にとって馬は神に等しく、初めは生馬を神に献上し降雨、止雨などを祈願したのがそもそもの起こりだという。
 時代の移り変わりで土馬、木馬そして板絵の「馬図」になり、さらに馬の絵だけではなく、絵巻、草紙、年中行事、武者、歌仙、芸能、生業、風俗などなどの絵を描いて諸願成就のために神社に奉納されてきた。板絵の図柄がどんなものでもすべて「絵馬」として扱われてきた。
 県内に現存する最古の絵馬は中尊寺蔵の「蒔絵繋馬図」(永禄七年ー一五六四年)だという。漆塗りだというから立派だろう。
 一般的には市内の神社所蔵の絵馬は、白木に墨で描かれ、色が塗られたものもあり、江戸時代のものも多く、藩お抱えの絵師が描いたものもあるという。
 誰がどんな願いを込めて奉納したものか?と思うと庶民の生活が見えてくるような気がする 絵馬の見て歩きも楽しいかもしれない。   (浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-04-06 22:02 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく⑩生きている江戸時代の盛岡絵暦

髪結いをしていた祖母は文盲だった。毎年「めくら暦」を売人から買っていた。ご飯粒で台所の板壁に張り付けるのが孫の私の役目で、毎年重ねて張り厚くなっていた。この面白い絵が暦だという不思議を解決しないで過ごしてきた。

 現存する最古の盛岡暦は天保十三(1842)年、作者は御印判師舞田屋理作で、版木印刷、売り暦だったという。
 さかのぼって天明三(1783)年現八幡平市の田山の田山暦が現存している。田山暦の影響受け盛岡暦が出来たという。

 「めくら」が差別用語だとの指摘で盛岡絵暦と配慮されているが、文盲の人たちのための絵文字は、祖母のように暮らしの中で欠かせないものだったろう。 途中途切れた時期もありながらも現在まで生き続けている貴重な民俗資料なのだ。戦後の苦難の時代南仙北三丁目の郷土史研究家の故佐藤勝郎さんも発行に尽力されている。
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 今年の南部めくら暦を解読すると、一段目の「塀と井形を背にしている男」で平成、重箱2つとサイコロ6個で二六年。二段目の歳徳神は今年の大吉の方向を示すもので、門の前に虎とウサギの絵、寅卯の間は東北東となる。と読めれば面白い!
 この一枚で自然と向き合って暮らしてきた人々に思いを馳せてしまった。(浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-04-06 21:53 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく⑨盛岡高等農林と宮沢賢治

今年は宮沢賢治没後八十年ということで各地でイベントが盛んだった。
 岩手大学農学部植物園で行われた「秋の樹木めぐり」~賢治の童話のなかの樹たち~に参加し、賢治ゆかりの木や高等農林校舎跡地に建つ碑などを楽しんだ。宮沢賢治は大正4~9年まで盛岡高等農林で本科生、研究生として学んだ。
 800種余の植物が生育しているという植物園は市民の憩の場となっているが、この一帯は、藩政時代は盛岡藩名門の侍屋敷町だったということでその名残も興味をそそられた。

 最も注目されるのは、威風堂々と建つ大正元年建築の盛岡高等農林学校の本館だ。当時一階は校長室、事務室、会議室に、二階は大講堂として諸学校行事に使われていたという、青森ヒバを用いた建物は修復はしたものの建築当時の姿をとどめている学校建築の歴史を知る貴重なものとして国の重要文化財となっている。
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明治三十五年我が国最初の高等農林学校として創立されたが、同時に建てられた正門(現在の通用門)と「寄せ棟風八角」の造りの門番所も明治の価値ある建物として国重要文化財である。 岩手大学農学部植物園は、植物、樹木だけではなく宮沢賢治や歴史との出会いも楽しめる場所だ。    (浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-04-06 21:48 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく⑧歴史を物語る旧八幡町番屋

月十四日秋祭り九台の山車による八幡下りパレード。見る場所は毎年決まって八幡町番屋の向かい側で、番屋の望楼と山車をツーショットでカメラに収めている。

 十一年前、議員時代に「番屋を解体新築で地元と合意できている」というなか、保存せよの市民運動と一緒に議会で粘って闘い、望楼だけは保存出来たというこだわりの建物なのだ。
 関係者の話によれば、明治十七年の大火で消失後、八幡の芸子さんたちがお金を出し合って建てたもので二階には舞台がありお稽古の場になっていた。隣には函番があり三味線がずらりと並んでいたという、当時の歴史を物語る貴重な建物だった。 昭和五二年保存建造物指定の対象となり調査したが、所有者が死亡などで特定できず指定されなかった。
 その調査報告書によれば「一般民家の町屋で、道路面だけ南京下見張の外壁と洋風の建具を使い、望楼は明治初期の洋風解釈を思わせる意匠で和洋折衷の形態をとっている」と評価している。県内の四つの望楼付の番屋のうち和洋折衷の番屋は八幡だけだった。
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 盛岡市職労委員長として活躍し、画家だった故藤村鼎さんが「陽子の宅急便縮刷版」発行の時、その表紙絵に寄せていただ
by yoko1939 | 2014-04-06 21:40 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく⑦駒形神社と七軒丁神楽

西仙北1丁目の駒形神社祭典は九月八日賑やかに執り行われた。

 このお祭りは、仙北一丁目第一町内会と駒形自治会の両町内が駒形神社奉賛会をつくり実施しているが、舞台づくりにはじまり、協賛金のお願いやお祭りの運営や屋台までやっている。この地域力はすごい!
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 例大祭後の直で菊池満協賛会長が作成した駒形神社由緒と昭和初期の駒形神社の写真が配られた。
 それによれば、慶長四年(一五九九)南部二七代南部利直が盛岡城を築いた時に駒形神社も現在の地に移し、荘厳な社殿を築いたとある。昭和初期の写真には東北本線の単線も写っている。菊池さんのお話によれば境内は今の四倍もあり、立派な神楽殿や厩があったという。南部初代の南部光行が甲斐の国から従えて来た加藤京吉の子孫を御駒太夫として太神楽を各地で演じさせた。太夫の部下が神社に隣接した七軒に住んでいたことから「七軒丁神楽」の名がついた。

 七軒丁神楽を受け継いだ神楽は青森県や岩手県内各地で現在も演じられているが本家のこの地では舞い手が戦死して途絶えてしまったという。いつか七軒丁神楽を訪ねて歩きたいと思っているのだが・・・(浦川陽子
by yoko1939 | 2014-04-06 21:36 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく⑥「小○」の旗掲げて1万5千人の百姓一揆

本町1丁目の雑貨屋平野商店は、かって沿岸の人達の定宿「河権旅館」だった。
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 歴史に残る旅館と言われる所以は、三閉伊一揆の頭人畠山多助が、明治6年、地租改正反対一揆の嫌疑をかけられ捕えられ、河権旅館に宿預けとなり、厩で抗議の自決をしたのだ。
 平野家は「佐倉宋五郎のような立派な人」と、本誓寺の平野家墓地の一角に墓を建て葬った。
 弘化4年と嘉永6年の二度にわたり、三陸沿岸を中心にたたかわれた壮大な百姓一揆は「黒船以上に大きな事件だった」と大佛次郎も評しているが、嘉永の一揆の惣頭人が田野畑村の36歳の多助だった。「小○の旗」を掲げた一揆の一行は1万5千人に膨れ、45人の代表を選び仙台藩に「藩主の交替と御用金・重税は迷惑」と訴えた。
 一行は要求をほぼ実現し、処罰しないと約束させて、お墨付きまで勝ちっとった。お墨付の発見は一揆から百年後だった。
 いま、自民党は公約を破ってTPP参加にまっしぐら・・・ 岩手県の調査で、農・林・水産物への影響は1015億円、地域経済への影響も含めると1435億円に及ぶ。岩手の産業が破壊されてしまう。
 参院選では「小○」の旗を高く掲げ国民一揆を起こす時!         (浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-04-06 21:29 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく⑤シダレカツラと阿部善吉

大ケ生の瀧源寺の本堂が全焼。国の天然記念物のシダレカツラも焦がした」という。どうやら幹は無事らしい。
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 市民には馴染みの深い盛岡市の木シダレカツラは、世界に誇る珍木で、岩手県地方特有のカツラの変種だ。
早池峰山域で見つかり、岳の妙泉寺境内に移植し、大ヶ生の瀧源寺を開いた住職が、そのひこばえを瀧源寺境内に移植した。。
 シダレカツラの原木は雄株で、種子が付かず、挿し木では発根しないため増殖は難しいものだった。瀧源寺の根際から出るひこばえを育て、苗木をつくり、明治のはじめ、盛岡市内に植えられた一部が「門のシダレカツラ」と「肴町のシダレカツラ」だ。 この3本が1924年に国の天然記念物に指定されている。
シダレカツラの難しい増殖を苦心の末5年間にわたって昭和10年接ぎ木の方法で成功させたのが阿部善吉さんだった。
 その労を讃えて、直木賞作家森荘已池さんらが顕彰碑を大慈寺町の永泉寺の山門前に建てた。
 この碑の建立が昭和37年、阿部善吉さんが亡くなったのは昭和54年というから、庭師さんの生前に建てられている。とても親しみを感じる顕彰碑だ。
(文・絵 浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-04-06 21:09 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく④盛岡に眠る反戦川柳家 鶴彬の証

「手と足を もいだ丸太に してかへし」と詠んだ反戦川柳家の鶴彬が名須川町光照寺墓地に眠っている。
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 鶴彬(本名喜多一二)は石川県高松町で生まれ、上京し一九歳で反戦運動に加わり、「胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき 」など数々の反戦川柳を発表し続けた。
 治安維持法のもとで検挙されたが意志を貫き、二度目の検挙で獄中で赤痢にかかり病死した。二九歳の命だった。
 盛岡で染物屋を営んでいた兄が遺骨を引き取り光照寺の喜多家の墓に埋葬した。特高警察が見張る中での埋葬だったという。
 鶴彬は一八歳の時、東京にでたものの職探しには苦労し、川柳仲間の友人に「失職すると啄木が兄のように思われます」と啄木の短歌を引き手紙を送っており、盛岡との縁が一層強まった感じがする。
 今年は、治安維持法による大弾圧から八十五年となる。
 自民党は、参院選で憲法改悪を争点にすると憲法草案には「国防軍」を唱えている。
「戦争反対」を言っただけで捕えられ拷問され、殺された時代に逆戻りさせてはならない! 信念を貫き生きた鶴彬から歴史を学び後世に繋がなければとの思いが強まる。        (浦川陽子)
 
by yoko1939 | 2014-04-06 21:06 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく③ 歴史の重み感じる大萱生金山

大萱生金山跡万寿坑跡の近くに大萱生館跡がある。これは源頼朝の藤原氏攻撃に参加した河村秀清が、軍功により斯波郡河東を与えられ、その一党大萱生氏の居城が築かれていた跡だ。
 この時代(一五〇〇年代)から金の採鉱が行われていたという。その廃坑が明治三六年に元山で発見され三九年に郡司半助が大萱生金山として創業。
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 その後二人の経営主が移り変わり、大正五年住友合資会社が鉱業主となり 元山より矢巾駅間に鉄索を架空し、小坂・日立鉱山に売鉱していたという
 現在残っている万寿坑は大正八年から掘進が進められ坑道は上大萱生元山の大生坑につながっている。万寿坑の役割は湧水の排水と金鉱の排出だったようだ。
 昭和九年には元山~萬寿坑~製錬所~矢巾駅を索道でつなぎ精化製錬・浮遊選鉱場などが稼動し、最盛期には四百数十人の従業員がおり盛況だったという。 昭和一八年国策により、戦争で全ての産業が軍需産業へ切り替えられ閉山となった。
 この地域の繁栄の歴史を思うと、静かな農村の原風景もまた違って見えてくる。
  (浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-04-06 20:56 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく② 盛岡城を造った人々を思う歴史散歩

盛岡城跡公園は、四月が訪れる人が一番多い。
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 盛岡城は、南部信直、利直、重直の三代の城主にわたる難事業で四十年を費やし一六三三年(寛永十年)に完成している。
 築城工事に動員された人夫は日々2、000人以上だったというから想像を超える。
 雪博士の高橋喜平さんは著書「岩手公園の四季」で「わたくしの頭を去来するものは、数多くの人々への思いである」とひどい苦役を強いられた人々へ思いを馳せ、「石垣にはそんな人たちの怨念がひそんでいただろう。長い年月がそれを流し夢とロマンをかきたてる」と見事な石垣を造った石工の技術をほめたたえている。
 良質な花崗岩を使った美しい石垣は高い評価を受け、盛岡城は、白河城、弘前城と並び東北の三大城跡といわれている。
 桜山神社の右側と菜園側のトイレの後ろの石垣に、築城の奉行の名前が刻まれているのも興味深い。下の橋教会の後ろには南部盛岡藩の彦お蔵がある。
 明治維新で政府に建物は壊されたが、国から南部家が四〇〇〇円で払い下げられたものを、県が譲り受け、明治39年に岩手公園が完成し、盛岡市に昭和9年移管となった。 
 いろんな変遷をたどってきた盛岡城跡公園の歴史散歩も面白いですよ ( 浦川陽子)
by yoko1939 | 2014-04-06 20:52 | 歴史てくてく | Comments(0)


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