高松の池をウオーキング

盛岡ウオーキングクラブ今年初のウオーキングは高松の池を一周。雪が少なく土の上を歩くことになるのかな~と思ってたら雪が降ってくれ、新雪を踏みしめながら気持ち良いウオーキングとなった。
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今年は鳥インフルが県内でも多発し、この高松の池でも2羽の白鳥が見つかって陽性だと報道されておりおそるおそる・・・
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でもやっぱり可愛い白鳥・・・
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時々散歩してきた白鳥が舞い降りてくる。
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オオバン・キンクロハジロが去年より多くなったような気がします。オシドリも1羽見れました。

ちょっと歩き足りないけれど、新年会の会場へ。事務局長さんが毎年作ってくれる麹の甘酒やお寿司をいただきながら、こもごも1年の抱負などを語り合った。今年も元気に歩きたいものだ。
# by yoko1939 | 2017-01-17 22:49 | 花・山だより | Comments(0)

仙北活動センターにエレベーター設置を市長が答える

仙北地区社会教育福祉推進会と仙北活動センター利用団体の方々20人近くが、16日谷藤盛岡市長を訪ね「大規模改修と合わせて、仙北地区活動センターにエレベーターを設置してほしい」と要望しました。
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市長は「どこに設置するか、新年度調査することにした。実現できるよう動き出したい」とエレベーター設置するつもりだと答えました。

これは、昨年11月末に開かれた仙北活動センターの大規模改修説明会の際、多くの参加者から「エレベーター設置してほしい」の要望が出されていました。

それを受けて仙北社会教育福祉推進会が利用団体との協議を重ね、要望書を取りまとめ市長へ要請したものです・
# by yoko1939 | 2017-01-16 21:13 | 木木レポート | Comments(0)

消防団第1分団(仙北)が裸参りを虚空蔵さんへ奉納

虚空蔵さんのお年越祭に行われる盛岡消防団第1分団の裸参りが24人が参加し、午後4時仙北町駅を出発し虚空蔵さんまで「諸願成就」「無病息災」を祈願し仙北町の通りを練り歩いた。
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今年は雪はないものの最低気温-8度、最高気温-2度と凍り付くような寒さだった。女性が1人初参加。3年連続の満願が2人だった。

地域の人には、「虚空蔵さん」と親しまれているが、本尊を阿弥陀如とした浄土宗のお寺で、不退院虚空蔵堂。

 不退院のおこりは、元禄7年(1694)、円光寺の良観和尚が凶作による餓死者供養のための草庵を建立した。
 「虚空蔵さん」と呼ばれるようになったのは、文化年間(1804~1817)に農夫が草刈り中に見つけた虚空蔵菩薩を不退院に奉安したところ、参詣者が多く「虚空蔵さん」の名で知られるようになったという。盛岡三十三観音の十三番として聖観世音が安置されている。
# by yoko1939 | 2017-01-12 21:40 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

東日本大震災岩手・宮城・福島の仮設住宅で暮らす人まだ39,909人も・・・

昨日の自治会の行事を終えてほっとして眼鏡山へ・・・今日は本当に良い天気
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岩手山は勿論・・・
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駒ヶ岳もきれいだ。
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そしてその南には和賀連峰が・・・

歩いていると振袖を着た人に2人も会った。今日は成人式だという。「おめでとうございます」と声をかけた。はち切れそうな新成人。こちらまでうれしくなってくる。

でも・・・春のような澄み切った青空を見ながら思い浮かんだ。2,3日前のラジオで「昨年11月末で、東日本大震災により仮設住宅暮らしをしている人が、岩手・宮城・福島の3県で39,909人いるという。まもなく6年になろうとしているのに・・・

神戸の地震では5年目には仮設住宅暮らしは0人だったという。

いまだに不自由な暮らしを強いられている人たちがこんなにいるのだ。

それにしてもおかしいと思う。沖縄では日本政府が思いやり予算で米兵のための住宅を建ててやっている。基地内のプールまでついた立派な住宅を空き家にして基地外の立派な住宅に移住している。その理由が基地は門限があるから・・・だという。基地外の住宅も思いやり予算で建てやっている。

こんなこと許せる?!家があるのに・・・

被災地にこそ住宅を早く!新成人にもしっかりと目を向けてほしい。
# by yoko1939 | 2017-01-10 23:30 | 東日本大震災関連 | Comments(0)

駒形自治会で三世代交流餅つき大会 獅子頭の門付け

昨日7日駒形自治会で三世代交流餅つき大会が行われた。
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まず、子ども会がお獅子を持って町内を門付けして歩く。400年の歴史を持つ町内にある駒形神社の前に神馬を守る人が7軒の長屋に住んでいた。南部藩主の命を受け江戸で芸を身に着け南部藩内を回り披露して歩いた。七軒丁神楽と言われていた。後には、お正月は地域を門付けをして歩いた歴史を受けて21年前から子ども会が町内の獅子頭の門付けに歩いている。
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今年も中国の留学生が器用な手つきで餃子を皮から作ってくれた。中学生が弟子入りした。こんな形で毎年外国人との交流も図っている。
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餅つき、
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水木団子つくり・・・1年間健康で穏やかな年でありますように・・・

おでん、焼き鳥、フランクフルト、甘酒、餃子・・・おもちも小豆やごま、きな粉、くるみ・・・
老人クラブ、子ども会、町内会の女性のみなさんが昨日から準備してくれていた。

子ども達からお年寄りまで交流して顔見知りになるとっても良い機会なのだ。
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今日8日の岩手日報に大きく掲載された。良かった。003.gif
# by yoko1939 | 2017-01-08 22:09 | 木木レポート | Comments(0)

今日も眼鏡山へ

今年もいろいろやりたいことがいっぱいある。それにつけても疲れない体を作ることが最大の目標。箱根駅伝の復路も圧倒的に青山学院大学が強かった。今日も元気をもらって眼鏡山へ・・・
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この山の下を眼鏡のような形をしたトンネルがあり、盛南地区と市街地が結ばれている。盛南開発でわざわざつくられた山なのだ。その周辺が中央公園となっており、その中に、県立美術館、先人記念館、こども科学館、遺跡の学び館があり、全部回ったら1日中、自然と、文化に浸れるとても恵まれた一体となっている。

ちょっと歩けば原敬記念館があり、アイスアリーナ、アイスリンク、室内プールもあり公共施設が集中している。大いに公共施設を利用してほしいなーといつも思うのだが・・・
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せめて眼鏡山を登ったり、下りたり、中央公園の中をウオーキングすることにしよう。ちなみに「眼鏡山」は私が勝手につけた名前だ。

今日は残念!岩手山は雲の中だった。
# by yoko1939 | 2017-01-03 22:55 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

初詣は駒形神社と岩手山

2017年の幕開け・・
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駒形自治会と青物町町内会が一緒になって町内にある駒形神社に初詣に来られる方々にお神酒や甘酒、ミカンを振る舞う。

0時役員が一緒に拝礼し、続々お参りに来られる方々に新年のご挨拶をしながら「甘酒どうぞ」と声かける。熱い甘酒は喜ばれた。、両町内の方々が多いが、1時間ほどで人が絶えるのでおふるまいも終わる。

元旦のお仕事が終わったような気分で1日を過ごしてしまった。
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2日箱根駅伝を見て元気になり、中央公園の眼鏡山に登りうっすらと浮かび上がっている岩手山に手を合わせた。それにしても雪がない暖かい冬だ。雪かきしないで済んでいるので「今年は楽で良いね」があいさつ代わりになっている。いつしっぺ返しが来ることやら・・・
# by yoko1939 | 2017-01-02 22:32 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

初春 2017.1.1

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縄は海も空もきれいでした。
その海に新しい基地をつくり、豊かな森にオスプレイのヘリパットを作っています。「沖縄はまだ戦争が終わってない」という沖縄の人たちの言葉を実感してきました。
そして・・米兵が、基地内の住宅を空き家にして基地外の立派な住宅に移住しているのです。門限が厳しいという理由でー。どちらも日本政府の思いやり予算で建ててます。沖縄の人たちと一緒に「米軍基地ノー」の声を日本中に広げる年に!(昨年5月にツアーに参加してきました)
# by yoko1939 | 2017-01-01 22:26 | 木木レポート | Comments(0)

歴史てくてく㉖岩洞湖底に眠るミステリー

「岩洞湖底に眠る野田街道を歩く会」にワクワクしながら参加。
 9月上旬の数日間だけ岩洞湖の水位が下がり、湖底に沈んでいた野田街道が出現するのだ。
 湖底を歩いていくとあちこち周囲と色が違う場所がある。丸いものは何と縄文時代や平安時代の竪穴住居の跡だという。
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 長方形の形がいくつも並んでいるものは、穴を掘り落とし穴を作って動物を捕らえる仕掛けだという。
 盛岡市遺跡の学び館の神原さんの話によれば、岩洞湖周辺の薮川の遺跡は⒖カ所も確認されているが、発掘調査されたのは小石川遺跡のみだという。ここで発見されている土器石器は、縄文時代早期の8500年前から晩期2300年前、弥生時代の2300年前~1800年前、平安時代1200年前のもので、13000年前の旧石器時代終末期の石器も発見されているという。
 1万年前にこんな寒いところに人が住んでいた?どこから来たのか?どんな生活してたのか?興奮した。
 野田街道に到着。湖面から山に向かってくっきりと2.5mの道が見えた。湿地だったのではないか?道の中に小枝や茅のが縛ったものが敷かれている。
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 その道のそばに江戸時代から昭和にかけて宿だったと思われる大きな家の礎石が見られ、蹄鉄やビール瓶、食器のかけらなどが散乱していた。
 南部領内で最も製塩が盛んだった野田の塩を運んでくる道として「塩の道」とも呼ばれていた。
 野田街道を歩く予定が、縄文時代、平安時代に入り込み、知らない世界をさまよった気分の一日だった。岩洞湖底に眠るミステリーだった。
    (浦川陽子)
# by yoko1939 | 2016-12-16 21:52 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく㉕宮古街道の道標は歴史を物語る

「宮古街道を探る」催しに参加し、宮古街道のほんの一部、旧宇津野発電所から東山二丁目の「砂留の道標」まで歩いた。車で走っているとまったく気が付かないが、いたるところに街道らしき道が残っていることに驚いた。

 宮古街道は盛岡城下から宮古に達する街道で北上高地の区界峠や山中を越える難所が多い街道だった。沿岸から海産物を内陸に運び帰りは米雑穀を運び人々の暮らしを守る重要な役割を果たしていたため幾度となく筋の変更、改修を繰り返した。次第に閉伊川川沿いのルートとなっていった。
 
  宝暦5年(1755)頃から牧庵鞭牛和尚によって、平津戸~蟇目間が改修整備され、文政6年(1823年)には五戸の豪商藤田武兵衛によって新道が開削改修した。 文化年間(1804-1817)以降は異国船への海岸防備のため改修工事が行われている
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 今回訪れた砂留の道標は、寛延4年(1751)3月7日建立の庚申供養塔と寛政12年(1800)6月9日建立の「庚申供養塔」は「右宮古道、左山道」とある。文化年間(1807年)正月吉日建立の庚申塔に「右はかはめ(川目)みち「左はみやこみち」とある。かわめみちは、川目部落までの小道でその奥は開発不能と言われていた。そのルートを藤田武兵衛が新宮古道として切り開いた。
そのことを示すのが弘化二乙巳年(1845)2月16日の南無阿弥陀佛碑に「右はみやこしんみち」「左はみやこみち」とある。この新宮古街道が本道として活用された。

道標は歴史を物語る重要なものだった。気にもかけてなかった道標がとても愛おしく感じられた。
(浦川陽子)
# by yoko1939 | 2016-11-01 19:40 | 歴史てくてく | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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