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盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


by yoko1939
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能登半島地震の被害は日に日に大きくなっている。大災害だ‼帰省し楽しいお正月を過ごしていた方々も犠牲になっている。200人を超える方々が命を奪われた。心が痛む。早く早く支援の手が届いてほしい。

2日には羽田空港で飛行機の衝突事故が起きた。2024年の幕開けは大変な年になった。

昨年頑張った自分にご褒美だと思い年末に予約していたお正月用の生菓子のデコレーションを受け取りに行った。
仙北2丁目の二葉屋さん―ショウウインドウをのぞいて思わす「素敵!」と声をあげてしまった。
芸術品の生菓子に幸せをかみしめる_e0122199_17055731.jpg
龍が天に昇っている。芸術品だ。

店のおかみさんが「生菓子は季節を先取りするんですよ」と四季折々の生菓子のファンになっているがデコレ-ションは特別だ。
被災地の方々には申し訳ないが幸せいっぱいで頂く。



# by yoko1939 | 2024-01-04 17:45 | 木木レポート | Comments(0)

岩手山へ初詣


初詣は岩手山と決めている。今年の元旦は晴天!しかも雪がない!いつもなら雪そりや凧あげで賑やかな中央公園には子どもたちの姿が少ない。
岩手山へ初詣_e0122199_17053550.jpg
岩手山に向かって手を合わせ、たっぷりのお願いをする。
岩手山へ初詣_e0122199_17055050.jpg
次は駒ヶ岳、そして早池峰山と....欲張りだな~と思いながら、ふっともう一度岩手山をふりかえると微笑んでくれている岩手山と目が合った!!!元気が出た!今年は良い年になりそうだな―

爽やかな気分で家に帰り一休みしているとテレビが賑やかになった。能登半島で震度7の大地震!それに津波も来た―東日本大震災を思い出しテレビにくぎ付けになる。

# by yoko1939 | 2024-01-01 19:45 | 木木レポート | Comments(0)

新年あけましておめでとうございます
2024年 新年あけましておめでとうございます_e0122199_18133349.jpg
辰年ですけど我が家の玄関で年中出迎えてくれている働き者の狸です

2024年 新年あけましておめでとうございます_e0122199_18134693.jpg
昨年はニュ-ヨ-クタイムスで2023年に世界で訪れたいまち第2位と報道され、盛岡が注目され観光客が増えたけど、地元からのアピ∸ルが今一つ弱かったな~と思いました。でも鉈屋町のまちなみを残してよかった!当時「まちなみ残せ!」と熱い想いで取り組んだことが蘇った年でした
絵は上の橋ですが良いところいっぱいの盛岡です。世界から注目が1年きりで終わらないように....
2024年 新年あけましておめでとうございます_e0122199_18134021.jpg
毎日のニュ-スが戦争なのに耐えられません!今年も戦争やめろ!の声を大きくしたい。
一日も早く平和な世界を願って我が家の十二支の繭玉を並べてみました


# by yoko1939 | 2024-01-01 18:11 | 木木レポート | Comments(0)

旧盛岡に一番目に建てられた歌碑を見に天満宮を訪れた。菅原道真を祀る神社には合格祈願の絵馬が沢山奉納されており、評判の狛犬も頭はすべすべだった。境内から坂をだいぶ下った所に石川啄木の碑があった。
 説明板には、昭和8年7月除幕、渋民鶴塚、函館侍岬に次いで3番目に建てられ、字は啄木直筆の集字であることなど書いてある。
 うん?と釘づけになった「建碑運動から実現まで約3年間は壮絶な経過をたどった。建立にこぎつけた盛岡啄木会の苦労がしのばれる」とあった。
歴史てくてく66 天満宮の石川啄木歌碑は盛岡最初の歌碑._e0122199_12091841.jpg
(旧盛岡に最初に建立された天満宮の石川啄木碑
「病(やまひ)のごと 思郷(しきょう)のこころ湧く日なり
 目にあをぞらの煙かなしも」
このほか境内に3基の碑がる)

 モクモクと持ち前の謎解きのくせが湧き上がった。
 長年、盛岡啄木会会長を務めた松本政治さんが「もりおか物語」⑹で語っていた。発端は、盛岡中学校50周年記念に校庭に啄木の碑を建てたいという在校生の願いだった。ところが軍国主義風潮が強くなってきた時代であり、アカの元祖と言われ、社会主義詩人啄木は受け入れられなかった。
 学生の願いを岩手日報に務めていた松本さんが引き継ぎ、県知事に岩手公園に建てさせてくれと頼んだら「はたらけどはたらけど・・・」とふがいない歌をつくる歌人の歌碑など建てるわけにはいかん。と叱られた。建設運動が盛り上がり資金も集まるが、建てる場所が見つからない。やっとのことで天満宮の境内の狛犬の近くに決まった。ところが建設前日に氏子の反対にあい断りが来た。しかし、中村さんが私有地の境内下の梅林へ建立を了解してくれ除幕を迎えたという。正に壮絶な運動だったのだ。        (浦川陽子)



# by yoko1939 | 2023-11-30 11:34 | 歴史てくてく | Comments(0)

前号で菅森幸一さんの体験を中心に1945年3月10日の盛岡空襲をお伝えしたが、2回目の盛岡空襲はまたもや盛岡駅周辺に8月10日の敗戦直前だった。
 わがもの顔で上空を飛び交う米軍の飛行機に国鉄機関区が集中的に爆撃され10時10分に第1弾が落下し技工2人が重傷。その直後の2波の攻撃は一層激しく3人が犠牲になった。この日破壊された機関車は16両に及んだ。すざましい爆撃を受け、機関区に駐在する工兵が三人が土手に立って軽機関銃で撃つがあたるわけがなかった。

この日は、駅前の盛岡ガスにも及び、ガスタンクを狙って低空飛行で機関銃を連射。命中したタンクからガスが漏れ、消防団が「火を使うな」と叫んで歩いた。盛岡ガスの現場員が犠牲になった。
歴史てくてく65  語り継ごう 3月10日と8月10日の盛岡空襲_e0122199_16542878.jpg
菅森幸一さんの「盛岡の子どもたち」より8月10日の盛岡空襲

タンクをめがけたロケット弾の一発が北上川の向こう岸に落下爆発し、大沢川原に土砂や泥水が降り注いだ。
この爆弾で大人の頭ほどの石が菅森さんの隣の家の屋根を突き破り縁の下に突き刺さった。菅森さんの家にも7発以上の機関銃が撃ち込まれどこにいても狙われているようで生きた心地がしなかったという。

前号出の駅前の照井安蔵さんは、「戦地ばかりでなく、この盛岡でこの場所で経験した。生き地獄でござんした。二度とこの世でこんなことやるべきでないと思いあんした」(もりおか物語10巻)と語っている。体験者の言葉は重い。  (浦川陽子)



# by yoko1939 | 2023-07-30 17:22 | 歴史てくてく | Comments(0)