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盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


by yoko1939
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修学旅行③帰ってから勉強・・伊藤千代子の故郷


タクシーの中から「伊藤千代子の顕彰碑」という看板を見た。確か、大先輩で素晴らしい活動をしていたが治安維持法による弾圧で若くして命を奪われた女性だったはず-

帰ってネットで調べたら「千代子こころざしの会」のホームページで詳しく掲載されていた。1997年7月21日に顕彰碑を建立。7月21日は千代子の誕生日だという。2005年には生誕百周年記念事業を行っており、作家の澤地久枝さんが記念講演を行い、千人を超える参加者ですばらしいつどいになったという。

顕彰碑は立派なものだ。碑の建立場所は、長野県諏訪市湖南南真志 龍雲寺山霊園
JR上諏訪駅か、茅野駅からタクシー利用となる

伊藤千代子顕彰の碑文(千代子こころざしの会ホームページから引用)

 伊藤千代子は1905年(明治38)7月21日、ここ諏訪の南真志野の農家に生まれ幼くして母と死別、湖南小学校から中洲小学校へ転校し、祖父母の援助で諏訪高等女学校(現二葉高校)に学び、高島小学校の代用教員の後仙台尚絅女学校から東京女子大学へと進んだ。
 千代子は常に生活に苦しむ人々に心をよせ、世の中の矛盾と不公平さを許せず、学内で「資本論」を学ぶなど、社会科学研究会で中心的に活動した。郷里では初の普通選挙をたたかう革新候補の藤森成吉を支援、岡谷での歴史的大争議であった山一林組の製糸工女らを激励し、社会変革の道にすすんだ。
 1928年(昭和3)2月、千代子は日本共産党に入党。3月15日の治安維持法による野蛮な弾圧で逮捕、市ヶ谷刑務所に投獄される。千代子は獄中での狂暴な拷問や虐待にも屈せず、同志を励ましたたかい続けたが、ついに倒れ1929年9月24日、24歳の若さで短い生涯を閉じた。
 千代子の死後、女学校時代の恩師でアララギ派の歌人土屋文明は暴圧化のきびしい言論統制の中の1935年、教え子伊藤千代子の崇高な生涯を悼み歌に詠んだ。
 千代子のこころざしは今も多くの人々に受け継がれ、生きている。

日本共産党は7月15日党創立90周年を迎える。多くの諸先輩が命をかけて守られた歴史だ。たった24歳で命を奪われた伊藤千代子や多くの先輩たちに報いるためにも頑張らなきゃ・・・

旅は勉強だねー
by yoko1939 | 2012-06-25 23:58 | 温泉・旅 | Comments(0)