盛岡市愛宕町の正伝寺の境内に建つ明治二十九年の「三陸大海嘯(つなみ)難死者供養」碑だ。
結構大きい碑で真ん中に「三陸大海嘯(つなみ)難死者供養」と刻まれ、その両脇に「明治二十九年丙日六月十五日{旧暦}五月五日午後八時海嘯(つなみ) 岩手県死亡者二五、四一三人宮城県同三、三一四人青森県同三四六人総計二九、〇七三人当山二十四世帯心水代」とあった。
碑の後ろに周って見たら、発起人と賛成者の名前が刻まれており、七回忌にあたる明治三十五年に建立されたものらしい。
正伝寺の大黒さんに聞いたら「うちの寺の檀家は商売家さんが多い。沿岸に商売に行って犠牲になった方の関係者が建てたと思う」と話していた。
津波研究家の故山下文男さんによれば「青森県から宮城県にかけて沿岸には約二〇〇基あるが、内陸に津波の碑は珍しい」「岩手県の犠牲者は山奈宗真が調べた一八、一五八人が最も近い」という。正確な人数が把握できないほどの大津波だったことを実感させられた。
今日も多くの方が花を手向けていた。「忘れないよ・・・」と手を合わせてきた。( 浦川陽子)