この時期の数日間だけ岩洞湖の水が少なくなり湖底に沈んでいた野田街道が浮かんでくるという。ワクワクしながら参加した。
案内人は盛岡遺跡の学び館の神原雄一郎さん。湖底を歩くので長靴を履いてくるようにというのでぐちゃぐちゃなのかと思ってたら、しっかり固まった地面にビックリ・・・
歩いていくとあちこち周囲と色が違う場所がある。縄文時代や平安時代のの竪穴住宅の跡がはっきりとわかる。
これは狩りをするための仕掛けで穴を掘って落とし穴を作って動物を追い込んで捕らえるものだそうだ。いくつもならんでいる。
途中、縄文土器のかけらも見かけた。
どうして?こんな寒~いところに縄文時代から人が住んでいたの?信じられない!!
神原さんの話によれば、ここで発見されている土器石器は、平安時代(1000年前)縄文時代の4000年前から8500年前のもので、1点だけだが約9000年前に流行した押方文土器も発見されているという。この周辺の遺跡からは13000年前の旧石器時代終末期の石器も発見されているというのだから驚きだった。
今年は水が少なく例年はここまで見えていないというが、相当大きな家であろうと思われる礎石が見られ、蹄鉄やビール瓶、食器のかけらなどが散乱していた。神原さんの話では宿ではないかという。きっと塩を運んでここで1泊する場所だっただろうという。便所のあともしっかりと残っていた。
そこに沿うような形で野田街道がはっきりと浮かんでいた。湿気の多い地域だったらしく、道の中に小枝や茅などが束ねて埋め込まれ歩きやすくする工夫がとられていた。
いつもは湖底となっている岩の上で1万年以上も前の人々の暮らしに思いをはせながら、おにぎりをほおばった。どうしても信じられない思いを抱きながら・・・・
帰りに塚の沢一里塚によった。岩手県指定史跡に指定されている。江戸時代徳川秀忠の命で街道の整備が行われ目安として1里毎に塚を築かせたという。ここも所有者の方が手入れをしてくださって塚とわかる形で保存されていた。2つの山の間が4㍍ありそれが野田街道だという。
見たこのもないものを見て、知らない世界に入り込んだような感動した日だった。でも―やっぱり岩洞湖底に沈むミステリーだ。