2017年 09月 16日 ( 1 )

歴史てくてく㉚ 広島の原爆で命奪われた女優「園井恵子」

7月国連で122か国の賛成で核兵器禁止条約が採決された今年、8月6日と9日、広島と長崎に原爆投下された日を、特別な感慨を持って迎えた。

園井恵子(本名袴田トミ)も喜んでいるのではないかと盛岡市愛宕町の恩流寺の墓前に手を合わせた。

e0122199_20444082.jpg

園井 恵子は1913(大正2)年岩手郡松尾村で生まれ、翌年岩手町川口へ転居。川口尋常小学校卒業、盛岡の岩手女子師範付属小学校に学び、小樽高女に入学するが2年生の時周囲の反対を押し切って、あこがれの宝塚音楽歌劇学校入学、本科に進み数々の舞台で主役も務めた。そのまま宝塚にいたらトップスターになっていたと思うが、昭和17年、新劇の劇団苦楽座へ移籍。翌年、大映「無法松の一生」で坂東妻三郎と共演し吉岡夫人の役で一躍名声を博した。

暗黒の色濃くなっていた時代、治安維持法による弾圧が新劇界のも広がり苦楽座も解散。国策によってやむなく地方慰問を目的にする移動劇団「さくら隊」を結成。広島を根拠地として活動していたが、194586日、広島の原爆投下に遭った。この日は園井恵子の32回目の誕生日だった。2日がかりで神戸の知人宅にたどり着き「生きていた!」と抱き合って喜んだが同月21日原爆症で短い生涯を終えた。

岩手町川口に園井恵子のブロンズ像がある。園井と同級生だった元工藤医院の工藤剛嗣先生が先立ちとなって(園井恵子を顕彰する会)1996年8月21日(命日)に落成した。e0122199_20415240.jpg

碑文には、817日付け母への手紙(絶筆)が刻まれている。「本当の健康に立ち返る日も近いでしょう。そうしたら元気でもりもりやります。やりぬきます。これからこそ日本国民文化の上にというよりも、日本の立ち上がる気力を養うためのお役に立たなければなりません。」

園井恵子には終戦後の新しい日本の姿が見えていたのだ。生きたかっただろう・・・

思いを受け継ぎ、核兵器禁止条約に署名する政府を早く実現しなきゃ。


by yoko1939 | 2017-09-16 20:31 | 歴史てくてく | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


by yoko1939
プロフィールを見る
画像一覧
通知を受け取る