初春 2017.1.1

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縄は海も空もきれいでした。
その海に新しい基地をつくり、豊かな森にオスプレイのヘリパットを作っています。「沖縄はまだ戦争が終わってない」という沖縄の人たちの言葉を実感してきました。
そして・・米兵が、基地内の住宅を空き家にして基地外の立派な住宅に移住しているのです。門限が厳しいという理由でー。どちらも日本政府の思いやり予算で建ててます。沖縄の人たちと一緒に「米軍基地ノー」の声を日本中に広げる年に!(昨年5月にツアーに参加してきました)
# by yoko1939 | 2017-01-01 22:26 | 木木レポート | Comments(0)

歴史てくてく㉖岩洞湖底に眠るミステリー

「岩洞湖底に眠る野田街道を歩く会」にワクワクしながら参加。
 9月上旬の数日間だけ岩洞湖の水位が下がり、湖底に沈んでいた野田街道が出現するのだ。
 湖底を歩いていくとあちこち周囲と色が違う場所がある。丸いものは何と縄文時代や平安時代の竪穴住居の跡だという。
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 長方形の形がいくつも並んでいるものは、穴を掘り落とし穴を作って動物を捕らえる仕掛けだという。
 盛岡市遺跡の学び館の神原さんの話によれば、岩洞湖周辺の薮川の遺跡は⒖カ所も確認されているが、発掘調査されたのは小石川遺跡のみだという。ここで発見されている土器石器は、縄文時代早期の8500年前から晩期2300年前、弥生時代の2300年前~1800年前、平安時代1200年前のもので、13000年前の旧石器時代終末期の石器も発見されているという。
 1万年前にこんな寒いところに人が住んでいた?どこから来たのか?どんな生活してたのか?興奮した。
 野田街道に到着。湖面から山に向かってくっきりと2.5mの道が見えた。湿地だったのではないか?道の中に小枝や茅のが縛ったものが敷かれている。
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 その道のそばに江戸時代から昭和にかけて宿だったと思われる大きな家の礎石が見られ、蹄鉄やビール瓶、食器のかけらなどが散乱していた。
 南部領内で最も製塩が盛んだった野田の塩を運んでくる道として「塩の道」とも呼ばれていた。
 野田街道を歩く予定が、縄文時代、平安時代に入り込み、知らない世界をさまよった気分の一日だった。岩洞湖底に眠るミステリーだった。
    (浦川陽子)
# by yoko1939 | 2016-12-16 21:52 | 歴史てくてく | Comments(0)

歴史てくてく㉕宮古街道の道標は歴史を物語る

「宮古街道を探る」催しに参加し、宮古街道のほんの一部、旧宇津野発電所から東山二丁目の「砂留の道標」まで歩いた。車で走っているとまったく気が付かないが、いたるところに街道らしき道が残っていることに驚いた。

 宮古街道は盛岡城下から宮古に達する街道で北上高地の区界峠や山中を越える難所が多い街道だった。沿岸から海産物を内陸に運び帰りは米雑穀を運び人々の暮らしを守る重要な役割を果たしていたため幾度となく筋の変更、改修を繰り返した。次第に閉伊川川沿いのルートとなっていった。
 
  宝暦5年(1755)頃から牧庵鞭牛和尚によって、平津戸~蟇目間が改修整備され、文政6年(1823年)には五戸の豪商藤田武兵衛によって新道が開削改修した。 文化年間(1804-1817)以降は異国船への海岸防備のため改修工事が行われている
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 今回訪れた砂留の道標は、寛延4年(1751)3月7日建立の庚申供養塔と寛政12年(1800)6月9日建立の「庚申供養塔」は「右宮古道、左山道」とある。文化年間(1807年)正月吉日建立の庚申塔に「右はかはめ(川目)みち「左はみやこみち」とある。かわめみちは、川目部落までの小道でその奥は開発不能と言われていた。そのルートを藤田武兵衛が新宮古道として切り開いた。
そのことを示すのが弘化二乙巳年(1845)2月16日の南無阿弥陀佛碑に「右はみやこしんみち」「左はみやこみち」とある。この新宮古街道が本道として活用された。

道標は歴史を物語る重要なものだった。気にもかけてなかった道標がとても愛おしく感じられた。
(浦川陽子)
# by yoko1939 | 2016-11-01 19:40 | 歴史てくてく | Comments(0)

被災地 大槌町をウオーキング

盛岡ウオーキングクラブの「三陸の被災地を訪ねるウオーキング・大槌」に参加した。釜石を経由し大槌へ・・・バスからの大槌の町はがれきが無くなったが復興はまだまだというのが第一印象だった。
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大槌町は津波の後、火災がおき被害を大きくした。人的被害は、死者813人、421人、震災関連死51人、家屋被害は全壊・半壊4,167棟、一部損壊208棟、産業公共施設被害額が800億円近くに上る。
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旧大槌町役場前には、屋根のかかった献花台が設けられていた。花を手向け手を合わせた。この役場前で対策本部の会議をしていて町長はじめ40人の職員が犠牲になってしまったのだ・・と思うと胸がいっぱいになった。
庁舎の3階にいた現町長は「多くの仲間が流され命を失って行く中で、私だけが生き残ってしまったのです。本当に現実は過酷です。泣いてる暇もなく復旧対策に不眠不休であたった」(全国生活と健康を守る会集いの挨拶)
こんな思いがこもった旧役場は津波の恐ろしさを見て取ることができた。ぜひ保存してほしいと思った。
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ここから「ひょっこりひょうたん島」で有名になった蓬莱島まで復興工事で重機が動き、ダンプが行きかうなかをウオーキングした。

なんとヒョウタン島まで道路が通り歩いて行けた!でもーやっぱりヒョウタン島はぽっかりと海に浮いている方が似合うなー。
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「タウンマスト」までバスで戻り昼食後、釜石で活動しているという「釜石あの日あの時復興甚句つたえ隊のあの時の有様を甚句で伝える3作品を聞いた。こんなユニークな活動もあるのだと感動した。
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帰りのバスからは山田の被災地や、国道106号からは台風10号の被害状況が見えた。自然災害の恐ろしさを実感しながら帰途についた。

日頃、日常生活に追われ被災地に心が寄せられないでいた自分を取り戻すことが出来たウオーキングとなった。
# by yoko1939 | 2016-10-06 21:02 | 東日本大震災関連 | Comments(0)

八幡平からの鳥海山が近く見えた!

久しぶりに八幡平へ 紅葉を求めて沢山の人たちが来ていたが・・・なんか紅葉はぴんと来ない。いつもきれいに紅葉しているナナカマドは実はついているが葉は紅葉する前に枯れたようだ。

何とか紅葉を見つけた!
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草紅葉で何とか救われた。
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チングルマの紅葉、
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ネバリノランの紅葉
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峠蕗でしょうか?
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周囲の山並みが素敵!でした。満足!!

岩手山と早池峰山
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何と鳥海山が近くに見える。
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モッコ岳の後ろに月山まで見えた。
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頂上からは岩木山が見えた。
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こんなにきれいな山並みは初めてだった。
# by yoko1939 | 2016-09-30 20:59 | 花・山だより | Comments(0)

秋!!で~す

駒形神社祭典 残念!雨降りでも賑やかに
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9月8日 駒形神社祭典 舞台も手作り・・・台風の影響で土曜日を3回使って出来上がり。おまけに午後から雨降りで子ども会の御神輿も中止。雨の中舞台は華やかに・・・子ども会の出し物と三浦わたるの歌で盛り上げてもらいました。

盛岡秋祭り 消防団第1分団「は組」が山車奉納
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9月13日 盛岡秋祭り 消防団第1分団「は組」が4年ぶりに山車奉納。出し物は「一の谷鵯越の逆落とし」で義経が馬で駆け降りる姿の人形と馬は勇ましいものだった。残念なことに13日は雨、でも14から16日はお祭り日和だった。

第61回仙北地区大運動会
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9月25日 岩手国体開催の影響で例年より1週間早い開催。12町内対抗の運動会は今年で61回となった。得点競技は各町内応援も盛ん。わが駒形自治会は4位。優勝はいつもの南仙北1丁目町内会。

生菓子も秋バージョン
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9月26日 夏から追いかけられた日々から解放され、秋バージョンの生菓子も目に入るようになった

そして萩にも・・・
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9月26日 我が家の玄関先に今年も見事に萩の花がさきほこった。
# by yoko1939 | 2016-09-26 20:55 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

岩洞湖底に沈むミステリー

polepole(ポレポレ)会の第2回盛岡の古道を歩く「岩洞湖底に眠る野田街道を歩く会」に参加。

この時期の数日間だけ岩洞湖の水が少なくなり湖底に沈んでいた野田街道が浮かんでくるという。ワクワクしながら参加した。

案内人は盛岡遺跡の学び館の神原雄一郎さん。湖底を歩くので長靴を履いてくるようにというのでぐちゃぐちゃなのかと思ってたら、しっかり固まった地面にビックリ・・・
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歩いていくとあちこち周囲と色が違う場所がある。縄文時代や平安時代のの竪穴住宅の跡がはっきりとわかる。
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これは狩りをするための仕掛けで穴を掘って落とし穴を作って動物を追い込んで捕らえるものだそうだ。いくつもならんでいる。

途中、縄文土器のかけらも見かけた。

どうして?こんな寒~いところに縄文時代から人が住んでいたの?信じられない!!

神原さんの話によれば、ここで発見されている土器石器は、平安時代(1000年前)縄文時代の4000年前から8500年前のもので、1点だけだが約9000年前に流行した押方文土器も発見されているという。この周辺の遺跡からは13000年前の旧石器時代終末期の石器も発見されているというのだから驚きだった。
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今年は水が少なく例年はここまで見えていないというが、相当大きな家であろうと思われる礎石が見られ、蹄鉄やビール瓶、食器のかけらなどが散乱していた。神原さんの話では宿ではないかという。きっと塩を運んでここで1泊する場所だっただろうという。便所のあともしっかりと残っていた。
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そこに沿うような形で野田街道がはっきりと浮かんでいた。湿気の多い地域だったらしく、道の中に小枝や茅などが束ねて埋め込まれ歩きやすくする工夫がとられていた。

いつもは湖底となっている岩の上で1万年以上も前の人々の暮らしに思いをはせながら、おにぎりをほおばった。どうしても信じられない思いを抱きながら・・・・
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帰りに塚の沢一里塚によった。岩手県指定史跡に指定されている。江戸時代徳川秀忠の命で街道の整備が行われ目安として1里毎に塚を築かせたという。ここも所有者の方が手入れをしてくださって塚とわかる形で保存されていた。2つの山の間が4㍍ありそれが野田街道だという。

見たこのもないものを見て、知らない世界に入り込んだような感動した日だった。でも―やっぱり岩洞湖底に沈むミステリーだ。
# by yoko1939 | 2016-09-18 21:03 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

全国に誇る米内浄水場見学し米内川周辺のウオーキング

盛岡ウオーキングクラブの8月例会は「米内浄水場を見学し米内川を歩く」だった。

 米内浄水場は昭和9年開設。それを裏付けるマンホールが頑張っていた。
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 創設当初の水質レベルを保っているという最大の特徴は、「弾速ろ過」を採用していること。比較的細かい砂の層、ゆっくり時間をかけて通し、砂の層と砂の層の表面に増殖した微生物群が、水中の不純物を酸化分解する働きを利用した浄水方法だ。
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 人口増で「急速ろ過」方式と併用しているが、水道水を作るのに「急速ろ過」方式の26倍も時間がかかるが、美味しい水を市民に供給するため頑張っていると説明された。
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 1時間の見学後、台風が近づいている空と相談しながら約30分取水口までウオーキング。環境の良いところで取水されていた。

 とにかく蒸し暑い!高洞山の裾野を歩いて、花に癒された。クサギの花はきれいだが、葉は名のとおりクサーイ!
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 タラボは春には沢山食べるが、花は見逃していた。これがタラボの花。
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 林の中は少し涼しくなる。ホッー。
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 途中に拾った葉は、秋を告げていた。
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 終着は上米内駅。今は山田線が一部休業しており駅もお休み中。この裏側が高洞山の登山口。
 駅前には宮沢賢治の歌碑が建っていた。説明文を読んだら、「風の叉三郎」の主人公の叉三郎が、空を飛ぶ場面で、高洞山の上空を飛ぶ場面が描かれているという。初めて知った。
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 とても勉強になったウオーキングだった。それにしても、蒸し暑かったーー
# by yoko1939 | 2016-08-22 16:25 | 花・山だより | Comments(0)

盛岡の送り盆 舟っこ流し13艘流舟

送り盆の16日、盛岡の風物詩「舟っこ流し」が明治橋上流で行われた。

仙北や鉈屋町などの町内会が半月以上かかって作った舟っこにご先祖の霊をのせ、火をつけて焼きながら北上川を流す。今年の参加は13艘の舟っこだった。
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わが町内、駒形の舟っこも立派な頭がついた舟に、町内の方々のご先祖の霊をのせて、無事に、綺麗に、流れてくれた。東日本大震災から丸5年経過いまだに行方不明者も多くいる。その方々も含めて犠牲者の慰霊塔を一緒に舟っこにのせて流した。

作り手の高齢化で舟を外注する町内が増える中、昨年から老人クラブが舟の作製を引き受けてくれ、今年は特に猛暑の中の作業で大変だったが、立派な舟が完成した。子ども会や中学育成会、自治会役員やボランテアの方々の協力で成り立っている。

経費も町内の方々からの志と企業などの法人の協賛金で賄っている。

綺麗に流れる舟っこを見ながら、伝統ある盛岡の風物詩を支えている実情にもしっかりと目を向けながら受け継いでいかなければならないと思うのだ。
# by yoko1939 | 2016-08-16 11:26 | 盛岡を楽しむ | Comments(0)

都知事にと借金県土にした人を 

7月10日岩手日報時事川柳の欄に載った「都知事にと借金県土にした人を」の川柳に拍手だった。

今日東京都知事選が告示された。自民・公明推薦で立候補した元岩手県知事 増田寛也氏のことを指している。

13日の岩手日報川柳に続いている。「県民が心配している都知事選」「増田さん地方再生どうしたの」

 岩手県民はみんな知っている。増田知事在任期間12年間で借金を1.4兆円ふやし倍にし、多くの県民が赤字続きの競馬場廃止の声を上げたが耳を傾けることなく、県や盛岡市の巨額な財政を注ぎ込んで継続した。
 あまりにもひどく任期満了時に「退職金返上しろ」の声が上がったが、退職金を受け取り、さっさと東京へ逃げていった人なのだ。

 日本共産党斎藤信県議のはなしによれば、県庁にいることが少なく、出張が大好きで1年間に100日も、県外や海外に出かけていた年もあるという。

 こんな人が首都の知事になったら・・・と岩手県民は本当に心配しているのだ。
# by yoko1939 | 2016-07-14 21:19 | 木木レポート | Comments(0)

盛岡のまちと暮らし、岩手の自然を楽しむレポート


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